イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

人権についての探求のおわりに

 
 「人権の根拠についての問いは、はてしない対話の営みを要求する。」この1月のあいだにさまざまな人と今回の探求のテーマについて話してみて、あらためてそう感じさせられました。
 
 
 人権は神の愛にもとづくというC2の立場が筆者の支持するところですが、いうまでもなく、これはすぐに同意してもらえる可能性の低いものであると思われます。


 けれども、よく考えてみると、C1のヒューマニズムの立場にも、人権という概念はフィクションにすぎないというAとBの立場にも、確実に正しいといえるような根拠はありません。立場の選択にさいしては、それぞれの人が人間という存在にたいして抱いている信念が、鋭く問われることになるといえる。


 筆者は、哲学とはつまるところ、真理の探求であると同時に、それぞれの人が信じていることをめぐる終わらない対話なのではないかと考えるようになりつつあります。


 おそらく、真理はただひとつでしょう。しかし、その真理をこの世にいるうちに客観的な論証のかたちで知ることは、人間には許されていません。人間にできるのはただ、真理を探し求めながら自分の信じる道を歩みつつ、できるだけ多くの人と対話をつづけてゆくことだけなのではないでしょうか。



ヒューマニズム 人権 イブン・シーナー モーゼス・マイモニデス トマス・アクィナス マルティン・ハイデッガー



 「生産ではなく、存在へ」というのが今回の探求においてとくに強調したいポイントでしたが、すでに何度か論じたように、この路線を追求してゆくと、近代世界の成果といわれているものを近代とは別の視点から捉えなおすことにつながります。


 イブン・シーナー、モーゼス・マイモニデス、トマス・アクィナス、そして、現代ではマルティン・ハイデッガーなどといった哲学者たちによって思索された「存在の哲学」の視点から人間の世界のあるべき姿を見つめなおすという道が、おそらくはありうるのではないか。


 この点については、また別の探求を通して、ヴィジョンと概念をより精緻なかたちで練りあげてゆくことにしたいと思います。読んでくださって、ありがとうございました!