読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

過去の先人たちの言葉

哲学を極めるために
 
 哲学の道を極めたいと望む人には、いま生きている人々との友情のみならず、すでにこの世を去っていった先人たちとのつながりも欠かせません。


 「過去の哲学者たちとの対話が、探究者自身の魂の問いかけをさらに研ぎすましてゆく。」


 哲学の問いを問うことは、同時に、自分の魂の輪郭をなぞってゆくことです。「わたしとは誰か、わたしは何のために生まれてきたのか」という謎にたいする答えが、年月とともに、まるで暗がりのうちからおぼろに浮かびあがってくるようにして、少しずつ見えてきます。


 けれども、アンドレ・ブルトンも言うように、「わたしとは誰か?」という問いは、「わたしは誰を追っているのか?」という問いと決して切り離せません。


 わたしは知りたい、わたしの魂のありかを。けれども、この世には、その場所についてわたし自身よりもはるかによく知っているように見える人々がいて、その人々の言葉は、わたしが愛するあの人の言葉以上にわたしの存在を突き刺す。


 言葉から言葉へ、思想から思想へと、追跡は続きます。哲学者は今日を生きるだけではいけない。かれは、今までの人類が生きてきたすべての時代を、とりわけ、かれと同じように、この世にはほとんど居場所を持たなかった過去の哲学者たちが駆け抜けた、すべての精神の高原を生きなければなりません。



アンドレ・ブルトン 哲学者 ソクラテス
 
 
 
 筆者自身は、今では、自分自身や他の人々ではなく、まず何よりも神のもとで問いかけを行うこと望む人間になりました。けれども、どうやらその場合にも、過去の先人たちとの対話をやめるわけには決してゆかないようです。


 「わたしよりも知恵のある人が、きっとどこかにいるはずだ。」哲学者はそう考えたソクラテスにならって、書物から書物へと飛び回ります。それというのも、かれは、かれ自身の魂の秘密が、まだ開いたことのないどこかの本のページのうちに書き記されているはずだという確信を抱いているからです。


 本が忘れ去られる時代になったとしても、「真理は市場で叫ばれる大声のうちにではなく、ひそかに記された文字の無言のささやきのうちにある」ということだけは、いつまでも決して変わることがないでしょう。哲学を追い求めようとする人は、時と場合によっては、この世の流れから身を引き離すことを恐れない方がよいということなのかもしれません。