イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ポイント・オブ・ノー・リターン

 
 哲学者は真理に仕える召し使いになる必要があるというのが前回の記事の主張でしたが、この点については、次の点を論じておかなくてはなりません。


 「真理の道を突き進むことは、喜ばしい生き方であることは間違いないが、時にその道のりはとても険しいものになりうる。」


 大哲学者たちの人生を見ていると、一体なぜこの人はこんなに生きるのに不器用なのだろうと思うことがしばしばですが、この絶望的なまでの不器用さは、おそらくは、かれが歩む真理の道の本質そのものからくるものです。


 「もう少し楽な道も、あるいは、もっとちゃんとした道もあるはずなのに、なぜそんな道を歩むのですか……?」おそらくは、哲学者自身にもその答えはわかっていません。これはもう、真理の道がそういうものだからというしかなさそうです。


 引き返そうかと思った時にはもうとっくにポイント・オブ・ノー・リターンを通過しているというのが、この道の恐ろしいところです。好きだから哲学していたはずが、気がつくと、哲学をする以外には人生の選択肢が全くなくなっていて、その人は、自分自身の運命に愕然とすることになる。


 「そんな。僕の人生には、もっと他の可能性だってあったはずなのに……。」若者よ、これが君の選んだ道なのだ。おまけに、若者よ、残念なことに、君は若者と呼べる年齢をそろそろ越しつつある……。



ポイント・オブ・ノー・リターン 哲学者 若者 荒野
 
 

 ここまで来たら、もう覚悟を決めて真理に命を捧げつくすしかないにもかかわらず、若者には自分が悪い夢を見ているとしか思えません。

 
 「僕はこれから、どうしたら……?」考えること、ただひたすらに考えつづけることが、君の仕事だ。幸いなことに、君の仕事を妨げるものは、この世には何もない。

 
 「なぜ僕は、ひとり荒野にいるのですか?」その方が考えやすいからに、決まっているではないか。真理の道には、名誉も金銭も必要ない。清貧の道に憧れていたのは、何よりも君自身ではないか。


 「待ってください!それはそうなんですが、これではあまりにも寂しすぎます!こんなことだったら、僕はもう一度人生をやり直したい。どうか、もう一度はじめから……。」それが無理なことは、君だってちゃんとわかっているはずだ。悪あがきはやめたまえ。それに、賭けてもいいが、君は何回生まれ変わっても、また哲学の道をこりずに選ぶに決まっているのだ。