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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

対話の銀河

 
 わたし自身の考えていることをあなたに伝達すること、また、あなた自身の考えていることをわたしが理解することの困難について、もう少し考えてみることにします。

 
 「それぞれのコギトは、想像も及ばないほどに膨大な過去の記憶に取り巻かれつつ、思考している。」


 哲学者はしばしば、完全に明晰なコミュニケーションというものがありうると夢想し、一点の曇りもなしに透明な議論によって問題に判定を下そうと試みてきましたが、おそらく、そのような議論は、いつの場合にも原理的にいって不可能なのではないでしょうか。


 もちろん、対話のさいには、議論ができるだけ透明なものになるように努力しつづけるように求められるのは、いうまでもありません。けれども、対話するわたしとあなたが、それぞれに無数の記憶に触発されつつ話していることを考えるとき、まずは完全な透明さの原理的な不可能性を念頭に置いておくことが、何よりも必要なのではないかと思われます。


 ひとりひとりの人間の心のうちには、ほとんど宇宙にも等しいほどの広がりがあって、この円錐状の記憶の貯蔵庫には、はてしのない星空のようにして、記憶の微小表象が散りばめられている。私たちはそれぞれに銀河を抱えながら、かぎりなく狭い世界の片隅のどこかでわずかな時間だけともに語ることを許されているというわけなので、対話にできることには、おのずから限界があるといえそうです。



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 ここから、あなたと対話するに際しては、わたしには次の二つの場合がありうると言えるように思われます。


 ひとつは、わたしが、これからもずっと時間をともに過ごそうと決めたあなたと話すという場合です。


 日常のさまざまなものごとを、愛を、そして真理をめぐって、語りつくすことのできない何かを求めつつ、わたしはあなたと語りつづけます。私たちが生きているこの宇宙では、銀河どうしが衝突するということがまれに起こるそうですが、わたしとあなたが望むのも、そのような、途方もない時間を要する終わりのない対話のプロセスにほかなりません。


 友人や師、あるいは恋人や伴侶など、そのような関係を持ちうる相手の可能性はさまざまにありえますが、私たちのこの世に生きている時間はごく限られたものにすぎません。私たちは、死ぬまでのかぎりなく短い年月のあいだに、ただ数人の人間とだけ、そうした関係を築くことを許されているといえる。


 そして、もうひとつは、それぞれの私秘性を抱えたわたしとあなたが、ほんの一時のあいだだけ会話をかわすという場合です。この場合においても、その時間がわたしにとってかぎりなく貴重なものをもたらしうるということには、まったく変わりがありません。一生に一度だけの出会いが、その後の人生において何度も思い返されるようなものになりうるということは、多くの人が経験するところであるように思われます。