イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

気がついたら二番煎じに

 
 さて、これから先の人生について考えてゆくにあたっては、まずは次の点に目を向けておくことにします。


 「この人生においてひとりの人間がなしうることは、本当にごく限られたことでしかない。」


 思考のうえでは人生には無限の可能性があるように見えても、実際には人間は一つの人生しか生きることができません。それに加えて、肉体の限界や人生の短さのことを考慮に入れるならば、ひとりの人間になしうることは、ほとんど無にも等しいのではないかとさえ思えてきます。


 例として、筆者自身のこれからの人生の予定を挙げてみます。

 1.個別指導のアルバイトで、生徒たちに勉強を教える。
 2.ブログとツイッターで哲学をつづける。


 筆者は、最近になってあらためて教えるという仕事の深さに気づかされていますが、世界の広大さに目を向けるなら、これら二つのことは大海の中のほんの一滴の水のようなものにすぎないことは、言うまでもありません。


 けれども、よく考えてみると、このことはすべての人間に当てはまります。大統領にせよスターにせよ、英雄にせよ芸術家にせよ、世界の全体を決定的に変えることができるような人間は、この世には存在しません。どんな行為や功績も、この世全体から見ればごく限られたものにすぎないというのが、この人生の実情なのではないでしょうか。



置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子 個別指導 アルバイト ブログ ツイッター
 
 

 そうであるならば、人間がなすべきことは、自分に与えられたわずかな片隅を全力で生きぬくことなのではないか。筆者自身の場合でいうならば、ひとりひとりの生徒たちに全力で接し、毎回の記事に心をこめて全力で打ちこむことにつきるといえるのではないか……。


 ここまで書いてみて、これはまさしくあの「置かれた場所で咲きなさい」のフレーズそのままではないかということに気づきました。というわけで、今回の考察は渡辺和子さんの丸パクリ……いえ、二番煎じでしかありませんが、真理はやはり何回言っても真理であるということで、自分を納得させることにします。


 一度かぎりのこの人生の大切な記事がこんなことでいいのかというのはありますが、昨年末に亡くなられた渡辺和子さんをしのぶということで、今回はこの辺りにしておくことにします。それにしても、「置かれた場所で咲きなさい」は、この言葉だけで世界にとびきりの贈り物をしたと言えるほどの名言であることは否定しがたいように思われます……!