イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

停止中の自問自答

 
 とにかく軸がブレまくりの、わが人生。けれども、今回、人生について考えることをストップしてみて改めてわかったことが、一つあります。


 それは、筆者にとっては、人生を生きることの意味は学問をすることのうちにしかないということです。勉強したり、考えたりすることはすばらしい。とくに哲学だけは、どうしても、何があってもやめられない。


 人文知が役に立つとか立たないとかは、根本のところではどうでもいい。こんなに面白いものは、世の中のどこを探しても見つからない。存在の問いについては、24時間考えつづけていたっていいくらいだ。魂や善について考えることができないとしたら、この人生は一体なんだろうか。


 全部あきらめたとしても、今日で世界が終わるとしても、哲学をすることだけはやめられそうにありません。あらためてそう思えたことは、ブレている中でも動かなかった数少ないことの一つでした。


 そういうわけで、真理を自分なりに求めつづけることだけは、何があってもこれからも続けてゆこうと思います。


 ここ数ヶ月はそのことばかり書いている気もしますが、このことは、今のうちに魂の奥底に刻みつけまくっておかなくてはなりません。ふにゃふにゃで中途半端な人生ではありますが、ここだけはなんとか貫けるように頑張ってみることにします。



哲学 真理 ふにゃふにゃ 逆流性食道炎 真善美
 
 

 唯一の心残りは、世の中には苦しんでいる人が無数にいるという事実を、どう考えたらいいのだろうかということです。


 おそらく、学問をすることは人間の苦しみをなくすことにつながっているはずで、また、自分としてはアルバイト先の生徒さんたちとできるだけよい関わり方をするくらいしかできませんが、世界の苦しみとの向き合い方は、これでいいのだろうか。


 いや、自分自身も鬱気味なわけだし、逆流性食道炎の中でぜいぜい言いながら生きてゆくのが精一杯というのはあるけれど、もっとずっと苦しんで生きている人は沢山いるわけで、生きていてごめんなさいという気もするけど、辛うじて生きているだけでいっぱいいいっぱいです、いや、やはりそれは単なる言い訳で、結局のところはただ逃げているだけなのだろうか……。


 ……と自問自答はつづきますが、ふにゃふにゃしながら考えつづけてみることにします。甘いものを食べて癒されたいところですが、「パルム」の一件以来、しばらくは甘いもの恐怖症から抜けられなさそうなので、ベーグルあたりに救いを求めることにします……!
 
 
 
 




[ベーグルとユダヤ人については、もしよろしければ、こちらの記事をご覧ください。]