イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

食べたい……が、よく考えてみると

 
 友人のTさんの話を聞いていると、逆流性食道炎は確かにきついけれど、これくらいで弱音を吐いていてはいけないのではないかと思えてきます。しかし、そのことを前提とした上で、やはりこれだけは書いておきたい。


 逆流性食道炎患者にとって、食べることは、食べ足りずに心残りなまま終わるか、あるいは食べ過ぎてすさまじく後悔するかのいずれかです。生き物である以上、食べて喜びたい。しかし、逆流性食道炎患者の場合、この喜びはいつでも、ある薄暗い不安と後悔に付きまとわれている。


 「食べないの?健康に食べるのが、人生いちばんよ。」


 われわれだって、できるものならそうしたい。しかし、われわれは逆流するのです、胃液が……。そしてそれは、食べ過ぎてしまった後悔と混じりあっているために、より一層苦しいのです。


 「サイドメニューに、ポテトをお付けしますか?」


 ポテトどころか、本当はマックフルーリーにチョコシェイクのLを付けて、さらにダブルクォーターパウンドを追加したいくらいです。それくらいに、食べられないことによる魂の飢えはたまっています。でも、すみません、水だけ追加で……。


 一度でいい。不安も後悔もなく、お腹いっぱいにおいしいものを食べたい。まじりけのない食の幸福を、本当にたまにでいいから味わうことができたら……。



マックフルーリー ダブルクウォーターパウンド 逆流性食道炎 胃液 ポテト
 
 
 
 書いていて、自分でも空しくなってきましたが、書くことによる魂の救済がありうるのだとしたら、それに賭けてみるべきなのかもしれません。逆流性食道炎文学という新しいエクリチュールの可能性が、ここにはあるといえるのではないか……。


 けれども、ここまで書いてみて、世界には十分に食べることができない人たちが無数にいるということに、あらためて気づかされました。その人たちに比べるなら、逆流性食道炎くらいで嘆いていてはバチが当たると言わざるをえません。それでもやっぱり、食べたいことは食べたいし、苦しいことは苦しいが、しかし……。

 
 自分がどうでもいいことで悩んでいるような気もしてきました。中途半端な結論になってしまいましたが、今日はこれから、自分の悩みと世界の苦しみの関係について考えてみることにします。