イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

人生の総合競技

 
 話がつい本題から逸れてしまいましたが、これを機会に、もう少しだけ脱線しておくことにします。

 
 「哲学とは、人生の総合競技である。」


 前にも少し書きましたが、筆者は最近、哲学の道の奥深さを前にもまして思い知らされています。この道は、はてしなく長い。ゆくべきところまで辿りつくためには、聴くためのよい耳と、問うためのよい口と、歩むためのよい足を持たなくてはなりません。


 それから、この道を歩んだ先人たちから、どこまでも真剣に学ぶべきことを学びとらなければならない。先人たちは、自分よりもずっと賢い。一見すると当たり前のことを言っているように見えても、じっくり考えれば考えるほどその深みに驚かされるというケースは、数知れません。


 そして、ここからが本題になりますが、哲学徒にとっては、人生のすべての体験は知恵にいたるための修業です。子供のころに読んだマンガから、ふだん聴いている音楽、そしてさまざまな人々との出会いなどといったもののすべては、魂の感性という到達点にダイレクトにつながる大事な機会となります。


 いつか、それまで体験してきたことのすべてが、まるで奇跡のようにして一つの線となる日がやって来るまで、哲学徒は死にもの狂いで生きつづけなければなりません。この道は辛いこともありますが、それでもこの世に生まれてきてこの道を歩むことができるということの、なんとありがたいことか……。



哲学 アリストテレス オールドスクール スーパーサイヤ人



 哲学は最高です。自分でも、なぜこんなにも哲学をすることの喜びについて書かずにはいられないのかわかりませんが、これだけはいくら書いても書き足りません。


 先月は、アリストテレスの哲学の深みにノックアウトされっぱなしでした。特に、実態と現実態という概念は、ハンパではない。二千年近くのあいだ哲学の王座を占めつづけただけあって、正真正銘、オールドスクールの最高傑作の一つです。


 しかし、たとえムリだとしても、いつかはアリストテレス級にスケールの大きな哲学に辿りつけるように、先を目指しつづけたい。これはもう、できるかできないかの問題ではないのだ。叶わないにしても死ぬまで目指しつづけずにはいられない、止めようもない魂の憧れなのだ……。


 気がつくとさらなるアドベンチャーを求める少年マンガ的なテンションになってきましたが、いつの日か伝説のスーパーサイヤ人哲学者3の高みに到達できる日をめざして、努力しつづけてみることにします。この道をともに歩いている人は、それぞれの道を完走できるよう、お互いに燃えまくりましょう!