イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

キャンディーズをたたえて

 
 哲学がこの21世紀を力強く生き残ってゆくためには、どうすればいいのか。その問いへの答えを求めつづけていた筆者は、ひとつのヒントとなるかもしれないアイドルの存在に、あらためて注意を向けさせられました。


 「キャンディーズは、ヤバすぎる。」


 昭和という時代のど真ん中のど真ん中を突っ走った伝説のアイドルグループ、キャンディーズ。数々の超ド級の名曲を残していった彼女たちの存在は、その当時を生きていた日本人たちの心に、永久に消えることのない印象を刻みつけました。


 そんな彼女たちは、いわばアイドルのイデアを体現するような存在であったといえます。


 たとえば、モーニング娘。や、ももいろクローバーZのような私たちの時代のアイドルたちは、それぞれにすばらしい存在ですが、「職場のお姉さんや近所の女の子のような身近感をあえて前面に押し出した、ハチャメチャに元気なダンスユニット型アイドル」「戦隊モノをはじめとするサブカルのダイナミズムを生かした、週末ヒロインアイドル」といった、「〜なアイドル」という形容詞によって勝負している。


 キャンディーズと同時代の山口百恵が「女王のようなアイドル」という形容詞によって人々を魅了したのも、事柄の本質においてはそれと同じことであるといえます。


 しかし、キャンディーズの場合には形容詞なしに、ただ「アイドル」と呼ぶしかない。THE・アイドル。アイドルのアイドル。究極の鉄板アイドル。それがランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんの三人からなる伝説のアイドルグループ、キャンディーズなのです。



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 あまりにもテンションが上がりすぎて、もはやウェッサイガッサイを忘れてしまいそうですが、哲学がこの世と向き合うやり方を考えなおす上でも、彼女たちのことをふり返っておくことは大きなヒントになりうるのではないか。


 キャンディーズは、大衆文化の花形中の花形でした。しかし、彼女たちの作品には、大衆にたいする媚びがない。


 まるで、古代ギリシアの彫刻やモーツァルト交響曲を思わせるような古典的な完成が、彼女たちの楽曲のうちには宿っている。もしも哲学が、この奇跡のような完成に到達することができるとしたら、その時哲学はまた、人類の文化の中心にダイナミックに食らいこむことができるのではないだろうか……。


 筆者はそのような観点から、最近は彼女たちの作品を聴きに聴きまくっています。なお、筆者のアイドルに対する関心は純粋に知的なものであり、筆者自身はあくまでも、大衆音楽よりもむしろブラームスのヴァイオリン・ソナタに耳を傾ける高貴な人間のひとりであることを、最後に言い添えておくことにします。


 
 
 
 
 

[深夜にも一人で踊りまくれる超超超いい感じな名曲中の名曲『恋愛レボリューション21』については、もしよろしければ、こちらの記事をご覧ください。真夜中には、ブラームスを聴いてるヒマはないぜYEAH!]
 
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)