イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

第三の位格

 
 三位一体論に話が及んだので、この機会に第三の位格についても触れておくことにします。


 「信仰の言葉によれば、人間は、第三の位格である聖霊が働くことによって神を信じるようになる。」


 何かを信じるようになるということは、よく考えてみると、とても不思議なことです。それは、信じる人間の自由になることではない。


 ひとは、何かを無理矢理に信じようとしても信じることはできません。その逆に、今までずっと信じていなかったようなことでも、ある時ふと気づいてみると、カチッとスイッチが入るようにして信じるようになっているということも、稀に起こります。


 人間は第三の位格の働きによって信じるようになるという、上の信仰の信仰の言葉は、神を信じるというモメントにおいては、スイッチを押すのは人間ではないと語っています。しかも、三位一体論のロジックによれば、ひとを信じるに至らせる聖霊なるものもまた、神自身であると言われています。


 神が人間のうちで働くことによって、人間は神へと帰還する。なんだか無茶苦茶な話のような気もしますが、神から神によって神へというのが、この三位一体論のロジックの最大のキーポイントの一つになります。



三位一体論 第三の位格 神 信仰



 1.神はまずもって、語る神である。(父の位格)
 2.しかし、神はまた、語られる言葉でもある。(子の位格)
 3.そして、神が人間のうちで働くことによって人間は神を信じるようになる。(聖霊の位格)


 三位一体論は、本来、哲学の領域にも神学の領域にも収まりきることがありません。このロジックは哲神学の領域において、すなわち、哲学と神学の境界不分明性の領域において働いています。


 この規定のうちで特に興味深いのは、3の規定です。神をめぐるこの規定のうちに、神と人間の関わりがすでに入りこんできている。この規定はいわば、神が神自身であることのうちにとどまることなく、人間の内側にまで越え出てゆくありさまを示しているといえる。


 論理的平面からみた神の愛を語ろうとすると、上のようになるかと思います。「神の愛とは、現存在への、超越の内部超出のことである。」哲学の立場からは、さしずめそのように事態を表現することができるかもしれません。