イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

デカルトと絶対的転覆

 
 ロゴスの受肉のほうに話を戻しましょう。


 「もしも神が存在するならば、神には人間の思考と想像を超えることを行うことができると想定するのを妨げるものは、何も存在しない。」


 ロゴスの受肉という主題についても、このことが当てはまります。「ロゴスの受肉なんて、荒唐無稽そのものではないか。」しかし、この人間の声は、絶対者の意志いかんによっては、瞬く間にひっくり返ってしまうかもしれません。


 人間の思考がこのようにして覆されるモメントのことを、絶対的転覆と呼ぶことにしましょう。絶対的転覆の出来事は、そのようなことが実際に起きると確証するものは何もありませんが、逆に、何も論拠がないとしても、論理的にはいつでもどこでも起こりえます。


 たとえば、死者がよみがえったり、人間が水の上を歩いたりするなどといったことは、神による絶対的転覆のことを考慮に入れるとするならば、そうした出来事が起こりえないと断言することは、誰にもできません。


 世界が明日終わったり、わたしが夢から覚めて、今まですべてのことは幻にすぎず、わたしは実は一度もこの世を生きたことはなかったということも、ありえないとは限りません。


 
ロゴス 受肉 デカルト 省察 絶対的転覆 フランシスコ・スアレス



 めちゃくちゃな話のようですが、近代哲学の祖といわれるデカルトは、ここでいう絶対的転覆のモメントを思索した先駆者であるといえるのではないか。

 
 デカルトは、神ならば、たとえば「2+3=5」といった数学的法則すらも別ように作り変えることが可能であると考えていました(永遠真理創造説)。


 筆者は、神学上の理由からこの説は支持しませんが、『省察』をはじめとする彼の哲学が、絶対的転覆について考えるうえできわめて貴重な手がかりを残してくれていることには、変わりがありません。


 デカルト自身は、どうやらフランシスコ・スアレスの「神による欺き」の議論などをベースにしながら、そのような着想に至ったように思われます。数学や自然学上の着想もさることながら、彼の形而上学的想像力の鋭さには、舌を巻かざるをえません。


 彼以降の哲学はこの想像力の破天荒さを引き継ぐことあまりなかったように思われますが、筆者は、この破天荒さも、彼が残した最も重要な哲学的遺産の一つなのではないかと考えています。