イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

この時代について思うこと

 
 この時代とニヒリズムの問題について考えるために、まずは次の点を確認しておくことにします。
 

 「認識と判断のすべては、唯一的な主体であるわたしに委ねられている。」
 

 わたしの持つこの自由は、解放と同時に孤独をも意味しています。わたしは誰にも束縛されることがないかわりに、その思想や信条において、誰とも一致することができないかもしれません。
 

 筆者自身の場合でいうと、正直に言えば、筆者は、今のこの現代という時代に共感できるところがほとんどありません。この時代にはエンターテインメントはあふれているけれど、思想がないと言わざるをえないのではないか。
 
 
 近代の人間は「人間はどう生きるべきか」という問いを立てていましたが、今日ではもう、そのような問いを立てて生きている人はほとんど全くいなくなってしまったのではないかとも思える。
 
 
 けれども、ここまで思想がないとなると、もう自分の方が頭がおかしいのではないかとも思える。生きることのうちに思想を求める方が愚かで、現実に適合することのできない子供であるにすぎないのだろうか……。
 
 
 
ニヒリズム 現代 エンターテインメント 死
 
 
 
 おそらく真実は、その中間にあるのではないかと思われます。ただ、もう書きはじめてしまったので最後まで書いておくことにすると、筆者にはやはり、どうしてもこの時代のメンタリティにはどうしてもなじめない。
 

 この時代には、真面目な問いかけがほとんどないのではないか。生きるとは何か、死ぬとは何かといった問いについて、そうしたことを問うことなく、むなしい享楽や安易な妥協に、あまりにも早く迎合してしまっているのではないだろうか……。
 

 かくいう筆者自身、このブログにおいても、少なくとも部分的には時代やこの世に歩調を合わせようとしてきたところがあるので、上のようなことを言ったとしても、その言葉はまずもって今までの自分自身にはね返ってきます。この点については、今のうちにしっかりと自己を見つめなおしておいた方がよさそうです。