「人間の自由は、おのれ自身にたいして贈られる運命を受け取ることのうちにこそあるといえるのではないか。」
人生を自己実現という観点のみから見ると、わたしの生は、わたしがわたし自身の望むことを現実化してゆくことに尽きるようにもみえます。けれども、この見方は一面的なものにすぎないのではないか。
わたしは、わたしが生まれてくる時代も場所も選ぶことができません。そもそも、よく言われるように、わたしは、生まれてきたいと願ったから生まれてきたわけでもありません。
わたしは、なぜ生まれてきたのだろう。わたしが存在しないということも、ありえたのではないだろうか。あるいは、わたしはこの人間ではなく、あの人間として生まれてくることもありえたのではないか……。
形而上学的な想像力は、どこまでも問いかけをやめることがありません。それでも一つだけ確かなのは、わたしは他でもない、この人間として生まれてきたということです。
原初の贈与
:唯一的な主体であるわたしは、他の誰でもないこの人間として生まれてきた。
この贈与の事実は、わたしが何を考えたとしても消すことができません。
わたしは、なぜこんなわたしに、こんな時代に、こんな場所に生まれてきてしまったのだろう。わたしは、わたしの生が憎い。わたしは、生まれてくるべきではなかったのではないか……。
たとえどれほど痛烈にそう思ったとしても、わたしにはこの事実をどうすることもできません。「あなたは今、生きている」と、この世の誰のものでもない声がわたしの耳に響きつづけています。