イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

利益に反するライフスタイル

 
 問題はつまるところ、誰もが知っている次のような論点に帰着するように思われます。

 「倫理的に行動することは、自分の直接の利益にはつながらないことがありうる。」
 

 パンを分け与えることは、自分の飢えを承認することである。無償で善を行うことができるのならば喜んでするという人の数はおそらく少なくないのではないかと思いますが、自分の財産を投げうっても構わない人となると、とたんにぐっと数が減ってしまいます。
 

 さらに具合が悪いのは、善(あるいは、そう見える行為)を行った結果、不幸に陥ってしまうケースが多々あるということです。ガンディーやキング牧師くらいの義人となると、自己の死を招いてしまうことすら稀ではありません。
 

 他者のことで気を病み、損をし、あげくには害までこうむるとなると、倫理から走って逃げ出したくなるような思いに駆られます。褒められるならまだしも、なぜわざわざ叩かれるために倫理的に生きねばならないというのだろうか……。
 
 
 
倫理 ガンディー キング牧師 他者アレルギー
 
 
 
 理屈をあれこれ並べる前に、まずはごく小さなことから始めればいいような気もしますが、何事も理性的に考えなければ気のすまないのが現代人の宿命というものなのかもしれません。現代人にとっては、見返りのない行動をとるというのは愚かさの極致のようにも思えます。
 

 ただ、自分の損得のことばかり考えているのも、何かとてもさもしい人間のような気もする。気持ちよく誰かに手を差しのべられる人間になれたらいいのかもしれないけれど、そもそもわたしは、他人とはなるべく関わりを持ちたくない人間であって……。
 

 倫理の前に他者アレルギーという深刻な病にかかっているのが、現代人のそもそもの悩みの種であるといえます。ともあれ、倫理は倫理的行為者の利益には合致しないという論点は、もう少し考察を深めてみる必要があるようです。