イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

究極の本音

 
 動物食の例からもう一つ、今回の探求に関係のある教訓を引き出しておくことにします。
 

 「感性的なものと理性的なものの衝突が、倫理的な問題の核をなす。」
 

 この点については多数の人が同意するのではないかと思いますが、動物の肉はおいしい。そして、この当たり前の事実が、動物食の問題を公共の議論の場に持ち出すことをきわめて難しくしています。
 

 1. 感性的なもの……動物の肉はおいしいという、感覚の快
 2. 理性的なもの……「動物を殺して食べてよいのだろうか」と問いかける思考
 

 2の問いかけに対する答えは定まっておらず、考えるだけなら考えることも何の害にもならないはずなのに、それでも人は「そんなこと考えることすらイヤだ」と感じてしまう。それは言うまでもなく、1における感覚の快の強度があまりにも高いからです。
 

 肉はおいしい。なぜ「殺すのは残酷ではないか」なんて、つまらないことを言うのか。そういうつまらないことを言い出すのは、ロクでもないやつに決まっている……。
 
 
 
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 もし仮に、動物の肉がそれほどおいしくなかったとしたら、おそらく人類は動物食の廃止に向けてもっとずっと積極的な姿勢を見せているはずです。この点、かく言う筆者も現時点では肉を食べつづけているので、あまり大きなことは言えませんが……。
 

 「おいしいから、しょうがないよ。」これが、少なからずの人の本音なのではないでしょうか。よく考えると、可哀想なのはわかる。でも、仕方ないじゃないか。こんなにおいしいんだもの……。
 

 ただ、この点については、殺される動物たちは「しょうがない」で納得してくれることはほぼ確実にないと思われます。さらに恐ろしいのは、この同じロジックが人間に適用された場合、「便利だから、安いから、楽しいからしょうがない」の一言で、見知らぬ他者たちの苦しみを半ば無意識的に是認する可能性があることです。
 

 感性的なものの強烈さを前にして、理性はあまりにも頼りないようにも見えます。倫理的であろうと努めるとき、ひとは必然的にこの「快感だからしょうがない」のロジックに向き合わざるをえなくなるように思われます。