イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

議論することの危険

 
 ここで一点、注目しておいたほうがよいと思われる論点を指摘しておくことにします。
 

 「倫理についての議論は、感情的な反応をきわめて引き起こしやすい。」
 

 そもそも、議論というもの自体にこの懸念が常に付きまとうという点は否めませんが、こと倫理となると、議論をする双方はとくに注意を払っておくべきではないか。
 

 たとえば、目下の主題である動物食の例でいえば、次のような反応が考えられます。
 

 1. 動物食に疑問を感じていない人「そんなことを言うなら、生きるのをやめろ!」
 2. 動物食に反対の人「殺して食べるなんて、残酷な人でなし!」
 

 1も2も、ほとんど議論を終わらせかねない表現になってしまっており、理性的な話し合いを続けることさえ難しくなることが予想されます。こうした際には、落ち着いて互いの言い分を聞きあうことが重要であるのは言うまでもありません。
 

 ただ、くり返しになってしまいますが、倫理については事柄の本質上、こうした危険が数倍高くなってしまうことを覚悟しておかなくてはなりません。それというのも、「あなたの考えは倫理的に間違っているのではないか」というのは、「あなたは人でなしなのではないか」というのに少し近いところがあるからです。
 
 
 
倫理 動物食 理性的動物 アリストテレス
 
 
 
 他の間違いとは異なり、倫理的な誤りというのは、その過ちを犯した人がまともな人間として扱ってもらえなくなる可能性に直結します。
 

 したがって、ひとたび非難が始まると「あなたは人でなしだ」「いや、あなたこそ人でなしだ」という水掛け論に陥る危険は一気に高まります。おそらく、倫理的な過ちから完全に自由な人というのはこの世に一人もいないので、「わたしもあなたも多かれ少なかれ人でなしである」という認識をもっておくことが双方の平和のためにも必要なのではないかと思われます。
 

 ただし、自分で自分のことを人でなしであると思うのと、他者から「あなたは人でなしである」と言われるのでは重みがまったく異なるので、議論の際には危険は常に消えないくらいに思っておいた方がよいのかもしれません。アリストテレスは人間を理性的動物と定義しましたが、この動物にとっても、いついかなる時でも理性的でありつづけることは困難であると言わざるをえないようです。