イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

地味なものの輝き

 
 倫理の「味気なさ」について、次の二択を通してもう少し考えておくことにします。
 

 問い: 「哲学者が読むべきものとは何か?」
  1. 派手で目を引くが、読んだ後にはすぐ忘れてしまうもの
  2. 地味で目立たないが、読んだ後にも着実に残るもの
 

 このように二択を立ててしまうとなると、もはや2を選ばなければソフィストの誹りを免れることは難しそうですが、ここでは急いで次の3を検討しておく必要がありそうです。
 

 3. 派手で人目を引きつつ、かつ読んだ後にも残るもの
 

 この3が成り立つならばそれが書き物として最高であるのは言うまでもありませんが、この3はひょっとすると、例の「丸い四角」と同じような、ある種の幻にほかならないのではないか……。
 
 
 魂を本当の意味で作りあげてくれるものは、つねに世の中の片隅でひっそりと私たちを待っているのだとしたら、どうだろうか。この見解が正しいかどうかは、少なくとも純粋な論理のみでは判定することができませんが、ひとつの説として念頭に置いておいてもよいのではないかと思われます。
 
 
 
 
倫理 哲学 ソフィスト 存在論 丸い四角
 
 

 「地味で人目を引かないもののうちにこそ真実がある」というのは、少なくとも筆者個人の人生経験に関するかぎり当てはまっているような気がします。
 

 目立っていてすばらしいものにもたくさん出会ったことは確かですが、その場合にも、本当に自分を作りあげてくれたのは目立つものの中の人目につかない輝きだったのではないか。この辺りの事情については、派手なものと地味なものについての存在論的考察を通して、もう少し入念に検討を加えておく必要がありそうですが……。
 

 ともあれ、世の中では地味なものがほめたたえられることは稀であるように思われるので、哲学者として地味なものの価値を主張しておいてもよいところかもしれません。昔、道のわきに咲いている小さな花をとても愛していた女の人がいたことを思い出しましたが、この点については、いつか彼女ともう一度どこかで話してみたいところです。