イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

幻想が覆っているもの

 
 フィクションの問題については、より原理的な視点から問題を提起することもできそうです。
 

 「現代の人間は、ある意味ではフィクションの中に閉じ込められていると言えるのではないだろうか。」
 

 私たちが生きているこの時代ほどに、人間が大量のフィクションに囲まれている時代はおそらくありません。その一方で、この現代ほどに人と人の間の関係が希薄な時代も珍しいということもまた、多くの人が感じていることなのではないかと思います。
 

 すでに何度か論じてきましたが、この事態の根底には、現代の人間が、自分自身に対しても他者に対しても絶望しているという事情があるように思われます。
 

 ファンタジーを例にとって考えてみます。ファンタジーの世界では、キャラクター達は概して美しい容姿をしており、剣技や魔法をはじめとするさまざまな特殊な能力の持ち主です。これに加えて、彼らには、現実の人間が抱かずにはいられない、あのじめじめとした薄ら暗い感情も存在しないように見えます。
 

 確かに、ファンタジーのキャラクターたちもまた、深刻に悩んだり苦しんだりすることはありえます。しかし、有り体に言ってしまえば、彼らの悩みや苦しみには大抵の場合、現実の人間には必ず存在するはずの、心の醜さなるものがないのではないでしょうか。
 
 
 
フィクション 現代の人間 ファンタジー SF
 
 
 
 日常の世界においてはなかなか口に出しにくいことですが、どんな人間の心にも、耐えがたく醜い部分が存在しています。かれは、自分が思い描くよりもはるかに卑小であり、夢想しているよりもずっと偽善的であり、自分でも吐き気がするくらいに利己的です。
 

 このことは、おそらく年齢や男女の差を問わず多かれ少なかれ当てはまりますが、ファンタジーやSFといったジャンルの作品において人間の心のこの層に触れることは、原理的にいって極めて難しいのではないだろうか。
 

 もちろん、だからと言ってこうしたジャンルの価値が否定されるわけではないのは言うまでもありませんが、これらの作品が人間に、容赦のない現実の醜さとの向き合い方を教えるものではないということもまた、どこかで念頭に置いておくべきかもしれません。フィクションが知らず知らずのうちに人間を現実の他者から遠ざけているという可能性は、ことにこの時代に関しては無視できないように思われます。