イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

声への反応

 
 思考実験を始めてみることにしましょう。世界の終わりが到来するにあたって、次のような声が天から響くとすればどうでしょうか。
 

 終末の断罪宣言:
 「あなたたちすべての人間の罪のために、この世は滅びる。」
 

 たとえば、環境問題が原因で人類が滅びることがあるとしても、このような声が鳴り響くことはないかもしれませんが、もし仮に人間がこのような宣言を聞くことがあるとすれば、おそらく反応はおおむね次の三つに分かれるのではないかと思われます。
 

 1.「その通りだ!」と悔い改め、赦しを請う。
 2. 「ひょっとしたらそうかも……」と、それまでの自己の生き方を見つめなおす
 3.「ふざけるな!」と逆上する
 
 
 もともと自分は罪人なんじゃないかという1の場合、その人はもともと自分は罪人なのではないかという懸念を抱いていたことが予想されます。このケースはきわめて少数なのではないかと推測されますが、2のような自己反省にいたる人は、それよりは多いかもしれません。
 


 問題なのは、3のケースです。ノータイムで天からの声にいわゆる逆ギレ状態をもって応えるとすれば、もはや滅びへの道を突き進むほかないのではないか……。

 
 
 
終末 人間 罪 逆ギレ 頑な 他者 自己認識 可塑性 倫理
 
 

 以前にすでに一度論じたように、「あなたは倫理的にみて間違っている」と言われることは、どんな人間にも多大な不快感を引き起こします(この点については、「議論することの危険」を参照)。本当は素直に自分の過ちを認められればそれがベストであるとわかっていたとしても、その方向に踏み切ることはなかなか容易ではありません。
 

 この世の終わりが来た場合にも、おそらくは少なくない数の「逆ギレ派」が出現することは避けがたいのではないかと推測されます。よく言えば自己の確信への信念が揺るぎないともいえますが、ひょっとすると、単に頑ななだけなのではないかという疑いも拭い去れません。
 

 哲学的にみれば、これは他者からの呼びかけに対する自己認識の可塑性という問題を提起しており、きわめて興味深いものであるといえます。ともあれ、もしも実際に天からの声が響くことがあるとすれば、その際にはできるだけ早く悔い改めて赦しを請うたほうが自己保身という観点からしても有益なのではないかと思われます。