イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「偽物の選別」

 
 「あなたは、なぜまだ生きているのか?」という問いに対する反出生主義者の二番目の回答は、誤答(?)を取り上げてみることにしましょう。
 

 反出生主義者の回答その2:
 「わたしが生きているのは、死ぬのが怖いからである。」
 

 一般人であれば「むべなるかな」と受け入れてもらえるこの回答は、反出生主義者には許されません。それは言うまでもなく、彼あるいは彼女が目指しているのは、まさにその死あるいは消滅そのものにほかならないからです。
 

 真の反出生主義者の選別テーゼ:
 意識的にであれ無意識的にであれ、回答その2を密かに奉ずる反出生主義者は、不徹底あるいは偽物である。
 

 「死こそ望ましい」と普段から主張しているからには、いざ本番になって「やっぱり怖いです」は許されません(ただし、以前の記事『目標の達成?』で論じたように、自殺志願者と反出生主義者では事情が明確に異なる)。彼あるいは彼女は、いついかなる時にも訪れる死をもこの上ない幸福として受け入れることが求められます。
 

 とは言っても、まさにその瞬間に自らの思想を撤回したとしても、別に何かの責任を取らされることはありません。ただ、転向と挫折は何よりも本人の名誉と誇りを傷つけてしまうので、生半可な覚悟では反出生主義者を名乗らない方がよさそうです。
 
 
 
反出生主義 死 自殺志願者 キリスト教 殉教 ペトロ 主 人類絶滅
 
 

 他者のことばかり論じるのも公平さを欠くので、筆者自身のことも書いておくことにすると、キリスト者であるとはいえ、筆者は少なくとも2018年2月初頭現在においては、キリストのために殉教する勇気がありません。この点、キリストを否んでしまったペトロを主が赦したことだけを頼りに、ただ自己の不徹底を恥じるばかりです。
 

 だからこそ、たとえ反出生主義者を名乗っていたとしてもいざとなったら死が怖くなるという気持ちは、筆者にはよくわかる。それは何も、恥ずかしいことではないはずです。さあ、自分たちの弱さを包み隠さず告白して、愛する兄弟よ、今こそ主のみもとに……。
 

 ……と、ぜひとも挫折した兄弟姉妹はすぐにでも主の道にリクルートしたいところですが、反出生主義者から見ればそれこそ大きなお世話というものかもしれません。ともあれ、神の大いなる愛は反出生主義者を含む誰にもつねに開かれていることを指摘しつつ、問題の人類絶滅ワールドのほうに立ち戻ることにします。