イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

サドよ、呪われし同時代人たる汝は……。

 
 「あなたはなぜ生きているのか」という問いに対する、反出生主義者の第三の回答を見てみることにします。
 

 反出生主義者の回答その3:
 「わたしがまだ生きているのは、身近な他者に迷惑をかけないためである。」
 

 きわめて常識的な答えではありますが、この回答がいちばん強力なものかもしれません。親や家族、その他の人々のことを考えると、自分だけ先に死ぬわけにはゆかないというのは、容易には乗り越えがたい障壁であるといえます。
 

 ことこの点に関しては、反出生主義者と自殺志願者の事情は一致します。このことはよく考えてみると、人間という存在の実存のあり方を鋭く示しているのではないか。
 

 身近な他者たちがいなければ、この世を去るのは、ある意味ではとても簡単です。自死を真剣に考えたことのある人というのも、普通に思われているよりもずっと多いのではないでしょうか。
 

 しかし、他者たちとの断ち切りがたい繋がりが、幸か不幸か、わたしをこの世に引きとめる。吹けば飛ぶような大地の表面の上に、人間たちは住みつく。望むと望まざるとに関わらず、わたしはなぜかその人間たちの一員として生きている。
 
 
 
反出生主義者 マルキ・ド・サド 自殺志願者 生
 
 
 
 現代を生きる私たちの内のある人々は、人間であるというこの務めに倦み疲れています。
 

 マルキ・ド・サドは、人類を滅し去るべきであると考えていたのみならず、もしも生まれ変わりというものがあるならば、その誕生と消滅のサイクル自体さえをも徹底的に根絶すべきであると主張していました。それから200年あまり経ったいま、世界は、数え切れないほどの匿名のサドたちであふれ返っているように見えます。
 

 人間は、生き続けるに値するのか。この問いは、おそらくはこれからもますます先鋭なものであり続けるでしょう。分別を身につけた大人たちは、当座の場所と理由を見つけてほっとしています。その傍らで、守られないままに重荷に耐えきれなくなった子供たちは、次々に死んでいます。
 

 どれほど極端に見えようとも、反出生主義という思想が提示する問題はおそらく、私たち自身の問題でもあるのではないか。捉えどころがないゆえに根の深い病がすでに後戻りのできないしかたで広がりつつあることを、私たちのうちの少なからぬ人がすでにずいぶん前から感じ始めているように思われます。