デスノートの使用に反対する論を少しだけ展開するにあたって、次の点をあらためて強調しておくことにします。
「この世は、不公正に満ちている。」
筆者自身がこの不公正に日々参与しているため、あまり声を大にしては言えないところですが、この点については今回の探求においてもすでに何度も論じてきました。
もしもこの論点に一定の根拠があるとするならば、デスノート主義者がこの世に対して向ける憤りも、まったく不当なものであるわけではないということになってきます。
したがって、デスノートの使用に反対するという場合にも、「暴力を用いてでも世界を変えようだなんて、とんでもない」というよりは、むしろ「おそらく、世界は暴力を用いてでも是正しなければならないほどの問題を抱えてはいるが、それでもやはり暴力は避けるべきである」というスタンスになってくるかと思います。
これは、いわばデスノート使用の必要性を認めながら、最後のところでデスノート主義を取ることをよしとしない態度です。このデスノート主義なる立場に対しては、多大な共感と決定的な決別とが、ともに必要とされているのではないだろうか。
個人的には、もしもデスノートを拾ってしまったとしたら、その人はできるだけ速やかにそれを焼却するなりなんなりして手放してしまった方がいいのではないかと思います。
原作では悪魔からの贈り物とされていましたが、おそらく、こういうものは手元に残しておいても全くならないであろうと考えられるからです。もっとも、実際に決然と捨てることができるかどうかは別の問題ですが……。
しかし、いずれにせよ、この類の問題に関しては、とにかく自分自身を信用しないことが決定的に重要なのではないか。
誘惑にうっかり負けて使ってしまったりしないように、断固たる炎によって、もはや手の届かない虚空に返してしまうのがよいでしょう。悪魔の罠にかけられないための最大の心得とは、自分自身を悪魔の敵であるとして油断しないようにすること、すなわち、悪魔に騙される危険に常にさらされていることを自分自身に言い聞かせつづけることであろうと思われるからです。