イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

自問自答

 
 「岩波文庫入りするためには、同時代の評価を気にするべきではない。」
 

 紋切り型とも言えるテーマですが、やはり押さえておくことにしましょう。岩波入りを狙うためには、とりあえず以下の二つの道が考えられます。
 

 1. 岩波書店に勤務する、将来の有望そうな人間とコネクションを築き、また、哲学界での人間関係の網の目も抜かりなく張り巡らせておく。
 2. 真正でオリジナルな哲学を築きあげる。
 

 1はおそらく、長期的にみて有効な戦略ではありません。なぜなら、後世にまで岩波文庫として残りつづけるためには、哲学の仕事に、同時代人を超えて伝わってゆく必然性が備わっていなければならないからです。
 

 百年後の青年が涙するような本物の中の本物を書かなければ、歴史の淘汰という試練をくぐり抜けることはできない。あるいは、それよりもはるか後の時代の玄人をすら唸らせるような概念の彫琢がなければ、後世の哲学の世界に議論を巻き起こすことはできません。
 
 
 
 岩波文庫 岩波書店 哲学 歴史の淘汰 政治 方丈
 
 
 
 政治が得意な人間は、いつの世でもおそらく無数にいます。しかし、一生涯をおのれ自身と世界との格闘に捧げつくす魂を見つけることは、かの人口に膾炙した表現をここでも用いるならば、どの時代にも稀にして困難であるといえるでしょう。
 

 筆者自身はどうかといえば、自分で言うのもなんではあるが、少なくとも気概だけを問題にするならば、見込みがまったくないわけではないわけではないと思う。
 

 だが、こういうことを自分で書いている時点で、不徹底な部分があることは否定すべくもない。今はなぜか書きたいのであるから書くしかないとはいえ、本当は、余計なことは言わずにただ実行しつづけるのが真の男であるはずだ。
 

 だが、それでもおのれについて書かずにはいられない俺は果たして、狂っているのだろうか。そう自問しようとも、その時、心、さらに答ふることなし。かの方丈の住まひに籠りたる先達のひそみに習ひて、ただおのれの妄語を書きつくるのみ。
 

 ここ数年を経て自意識はすでにだいぶ薄らいだはずが、やはり、消えないものはいつまでも消えないようです。人間にできるのはただ、執拗に残りつづける自尊心を諦めて受け入れつつ、ただ自分自身の仕事に専念しようと試みつづけることだけなのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
[ノートの書いた翌日の朝にiPadに打っていると記事自体を書き直したほうがよいような気もしてきましたが、自戒の意味も込めてこのままにしておくことにします。]