前回の記事を書いてから二日間考え続けてみましたが、やはり結論は動かないようです。
「人間は、天命に逆らうことはできない。」
天命のようなものは、その存在を論証もできなければ反駁もできません。従って、その存在を信じるかどうかは各人の思想と経験に委ねられるほかありませんが、こと筆者個人に関していえば、これまでの人生の流れもあって、その存在を疑わないようになっています。
天命は、もし存在するとすれば、人間を超えているものと思われます。従って、それに逆らうことは必然的に徒労に終わるでしょう。海に逃げても大ざかなに飲み込まれたかの男のように、ひとは何をしようとも天命のもとに連れ戻されることでしょう。
一つだけ慰めがあるとすれば、いずれにせよ、岩波文庫入りをするほどの仕事は、どこかで天命のような次元に触れるであろうということです。
岩波よりも天命を優先する人間でなければ、いずれにせよ岩波入りもありえないのではないだろうか。その意味では、この問題については話はもう終わっているといえるのかもしれません。
その観点からすると、今の筆者に与えられている天命(と思われるもの)としては、とりあえず次の二つのものが考えられそうです。
1. 子供たちに勉強を教える。
2. ブログを書く。
結局、かの「置かれた場所に咲きなさい」的な方向に話が収斂してゆく感は否めませんが、やはり、このフレーズは人生のエッセンスを凝縮した究極の精髄なのかもしれません。上の二つのものに関していえば、この二つのどちらも自分で選んだというよりは流れでそうなった感が強いのですが、与えられていることにはただ感謝というほかありません。
1については、繰り返しになってしまいますが、これはもう、関わってくれる子供たちに感謝です。これまでの人生では、少なくとも最近までは本当にただ自己本位で生きてきたという苦々しい実感しかないので、これからはせめてその償いに努めたいところです。
最後に、2についてもまた、ただ感謝しかないことは言うまでもありません。哲学探求と日々の煩悶が混じり合った訳のわからないものを書き続けていることは否めませんが、読んでくださっている方の存在には、他に言葉が見つかりませんが、ただもう感謝するばかりです。