……結局僕は、わりと手頃なところで幸せを見つけてしまう人間なのかもしれない。岩波文庫に入りたいとか言ってるわりに、住宅地の片隅の学習塾で勉強を教えている今の生活には、めちゃくちゃ満足しているのである。
昔、仲良くなった子に、「先生は将来、どんな仕事をしたいの?」と聞かれたことがある。その頃はまだ僕も目の調子も悪くなくて、希望に満ちていた。でも、その時はなんか幸せな気分だったから、ずっとこのままここで働いていてもいいかなみたいなことを言ったんだった。
その子は言った。先生、本気かよ。ここでこのままずっとアルバイトして暮らすわけ?からうような口調だったけど、その子は笑ってた。後から思うと、そういう全部がなんかすごくいい雰囲気だった。
あれから五年以上経ったけど、僕はまだ同じ場所で働いてる。微妙に立場は変わったとはいえ、将来のお金のこととか考えるとわりとまずいような気もするけど、僕にはこの場所しかないような気がするのである。自分にもどこか居場所があるとするなら、ここが僕の場所なのではないだろうか。
現実の世界はともかく、文章の中の世界ならなんだってできる。たとえば、空を飛んでいると書いてみる。そうすれば、その瞬間に僕はもう、地上をあっという間に離れて空を飛んでいるのだ。
何という眺めだろうか!ここなら、岩波にも手が届く。僕がこうやって書いているこの文章を、百年後の若者が読んで思うのだ。ああ、俺もこんなものをいつか書いてみたい、地味でもいいのだ、俺がつかみ取った、本当に自分のものといえるような幸せを。
根本はおそらく、岩波に残るかではないのだ。結局、空を飛んでいると思えるかどうか、ああ、幸せだな、色々辛いこともあったけど生きてるって本当にいいものである、なんか普通な結論になっちゃったけどまあいいや、ほんと人生って素晴らしいとさえ、たまに思えるならば。
……ただ、一度空を飛んでいると書いてしまったからには、誰も見てなくたって同じことは二度書けないというのが、書く人間のプライドなのである。さあ、明日は何を書こうか。その辺りのことを考えながら、最後の空中遊泳をもう少し楽しむこととしよう……。