イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

この世はゲットー

 
 この機会に、ここ数ヶ月の間うっすらと考えていた論点に触れておくことにします。
 

 「自分が幸福なときにこそ、他者の苦しみについて考える必要があるのではないか。」
 

 前回の記事を書いてのち、油断したせいで目を使いすぎ、久しぶりに心身ともに沈み込んでしまいました。目の調子自体は数日すれば何とかなりそうなのですが、その一方で、最近、他者の苦しみについて書く割合が減っていることについては、ぼんやりとした後ろめたさのようなものを感じていたところでした。
 

 いったん人生が小康状態に入り始めると、人間は自分の幸福の方に夢中になってしまう。それはそれで良いところもなくはないのではあろうが、苦しんでいる他者のことが目に入りにくくなってしまうとすれば、そのことはやはり心のどこかに留めておくべきなのではなかろうか……。
 

 ていうか、目が痛いと、他に何も考えられなくなるのである。この年でこんなに目が使えなくて、このまま本当に生きてゆけるんだろうかと思うと、ものすごい不安に襲われるのである。あれ、気がつくとまた、自分のことしか考えてないなこれ……。
 
 
 
他者 ゲットー 翼をください 小康状態 ジョージ・ベンソン
 
 

 さまざまな不幸について考えるあまり、一生の間を暗い顔で過ごすことも誰も幸せにしなさそうですが、泣く人と共に泣くことも人間にはまた必要であるのではないか。つまるところはバランスの問題なのかもしれませんが、仮にそうであるとすれば、喜びと苦しみについてほどよいバランスを達成するのは、何と難しいことであろうか。
 

 久しぶりに痛烈に思い出したが、苦しむ人々にとっては、この世はゲットーなのである。悲しみのない自由な空へという『翼をください』の歌詞は、なんと心を打つものであろうか。今日は一日中、あの歌の合唱を永遠にリピートしつづけるほかなさそうである……。
 

 論旨のよくわからない記事になってしまいましたが、今回は、『翼をください』が小中学校で歌われ続けていることの深さを再認識したということでとりあえずは良しとしておくことにします。なお、もっとアダルティでクールな慰めが欲しいという方には、ジョージ・ベンソンの『この世はゲットー』を貼り付けておくので、もしよろしければご鑑賞ください。
 
 
George Benson / The World is a Ghetto