イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

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 果たして、TWICEと同じ時代に生まれてきたことも天命なのであろうかという愚問は放置しつつ、もう一つの天命(と思われるもの)であるこのブログについて少し考えてみることにします。
 

 「人がブログを書き続ける理由とは何か。」
 

 他の人のことはわからないから、僕個人の事情について書いてみる。僕がこのブログを三年間書き続けているのは、このブログ以外には、どこにも書く場所がないからである。
 

 たぶん他に活動の場所があれば、三日ボーズになっていたのではないかと思う。しかし最近は、この場所に全力で自分の哲学人生を賭けねばならないと、ますます痛感させられているのである……。
 

 哲学って、多分ある程度まで修練を積んだら、そこからはアウトプットに乗り出さないと探求が進まない。対話したり、あとは講義なんかもあるとは思うのだが、前者はいいとしても、僕には後者の可能性は今のところ全くなさそうである……。
 
 
 
TWICE プログ アウトプット 哲学 孔子 不惑 書く
 
 

 自分の哲学を築くためには、この場所を日々の鍛錬に打ち込む場とせねばならないのである。じゃあ今この瞬間は何の鍛錬をしてるんだって思うと、ふとノートに文字を書きつける手の動きが止まってしまうのである。
 

 書くことについて書く。それは何のためか。

 わからないけれど、ここ数年特に強く感じるのは、僕はまだ人間としての軸が定まっていないのではないかと思われるのだ。四十にして惑わずと孔子が言ったように、あと八年後には進むべき道について迷わない人間になっているのだろうか。
 

 いや、この七月で僕はもう三十三だから、あと七年である。マジかよ、としか言いようがないのである。歳月は人を待たず。このままではあと七年なんて、あっという間なのではないだろうか……。
 

 ここまで書いてたら、なぜか来週月曜締め切りの住民税の支払いをまだ払ってないことを、思い出してしまった。いや、見据えるべきはむしろ、はるか先の未来である。何物にも動じることのない練達の境地に、何とかしていずれ到達したいもの……。
 
 
 
 
 
 
 
 
[この記事を書いたのは先週の土曜日ですが、住民税のほうは昨日、涙と共に支払いました。]