イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

スナック菓子と見知らぬ友人

 
 「幸福。はかなく消え去る蜃気楼としての……。」
 

 僕は最近、じゃがビーというスナック菓子にはまっているのである。これが実にうまい。特にバター醤油味とか、ホントおいしい。てか、最近はうす塩とか七味マヨですらもちょっと物足りないくらいで、バター醤油にぞっこんLOVEなのである。
 
 
 「……はぁ。」
 

 興味ないだろうね。話を続けよう。ただね、僕は毎朝じゃがビーのちっちゃい袋を食べてるわけなんだけど、これが、もう少し食べたいなーって思わせるくらいのニクらしい量なのである。おいしいなーニコニコとか思ってたら、もう次の瞬間にはなくなってる。
 

 そうして、次の朝を待つわけだ。でも翌朝も当然、あっという間に食べ終わっちゃうわけである。かくして、六道輪廻は永遠に続く。人間は、一生なんか物足りないと思いつづけながら生きてゆくほかないのであろうか。
 

 なんか、もったいなかった気がしてきた。今日とかも、もっと味わって食べればよかったのかも。欠乏と充足のサイクルが永久に繰り返されるのであれば、せめて充足のわずかなスウィート・タイムだけは、それを完全な至福として味わうべきではなかろうか……。
 
 
 
 幸福 じゃがビー バター醤油味 セミ ニコニコ 小鳥 見知らぬ友人
 
 

 なんか、最近は日々の瞬間をきちんと味わってなかった気がするので、今、夏の朝の物音に耳を澄ましてみた。今年初めてのセミの鳴き声が聞こえたけど、正直に言って、そこまでテンションは上がらないのである。
 

 最近思うんだけど、幸福って一人では本当に到達しにくいものなんではなかろうか。たとえば、じゃがビーにしても、一人で食べてる時よりも、ホントじゃがビーっておいしいんだよねニコニコって誰かに言ってる時のほうが幸せである。
 

 今年初めてセミの声聞いたんだけど意外となんにも感じなかったのってどうなんだろうとか、でも小鳥ちゃんのピヨピヨ鳴くのはちょっとかわいかったピヨとか、そういうことを誰かと話してるとなんか楽しい。たぶん、ひとがブログを書く理由ってそういうことが大きいんではなかろうか。
 

 誰しも、一人では寂しいのではないか。こんなことがあったとか、こんなこと考えたとか、無数の人が毎日色んなことを書いている。書かれること自体よりも、おそらくは、見知らぬ誰かに向かって書くことのほうが……。