イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

書くという不安

 
 「他者の沈黙がかきたてる不安……。」
 

 自分がしゃべり続けてるのに、相手はずっと黙っているとする。言うまでもなく、落ち着かない気分だ。自分はどう思われてるんだろう、嫌われてるんじゃないか、何かまずいこと言ったかな……などなど。不安は消えることがない。
 

 僕は虚空の中で一人つぶやき続けているわけだが、その、何というか、やはり誰かがいるような気がして不安である。しかも、僕は原理的に、永久に一人つぶやき続けなくてはならないのである。
 

 「うん」とか「そっか」とかですら、話す人間に多大な安心感を与えてくれる。コミュニケーションとは本来は相互的なものなわけで、書くというのは、相手の反応がわからないまま独白し続けるという、考えようによっては恐ろしい行為であるといえる。
 

 書く人間は、だからこそ、自分で相手の反応を想像しながら書き続けるしかない。あるいは、自分も読む人間になったつもりで一人二役を演じ続けるとでも言おうか。聞いているはずの誰かに向かって延々と繰り広げられる、虚空の中での徒労にも似たつぶやき……。
 
 
 
 虚空 書く コミュニケーション サミュエル・ベケット テンション  郵便的不安 不確定性
 
 
 
 サミュエル・ベケットは、こういう徒労の偉大な探求者であった。しかし、この作業において当初の主題だったテンションMAX状態に至ることは、きわめて難しいように思われる。
 

 二人で盛り上がってると思ってたのに実は一人で舞い上がってただけというのは、大変に悲しい状況である。テンションMAXなものを書いたつもりだったのに読んでる人は読めば読むほどうんざりしてゆくだけとすれば、悲劇としか言いようがない。二人以上でいる時のテンションとは、自分と相手の協力で作り上げてゆく芸術作品のようなものなのだ。
 

 こうしてみると、宛先もわからない不特定多数の相手にひたすら話しかけまくるという意味で、書くという行為は途方もない冒険なのである(cf.郵便的不安の概念)。ともあれ、進んでるんだか進んでないんだかよくわからないこのつぶやきは、果たしてどこを目指してさまよい続けているのであろうか。エクリチュールとともに開かれる、根源的な不確定性の次元……。