イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

孔子先生とカスミちゃん

 
 先生ということでいえば、孔子先生こそは先生の中の先生であると言わざるをえないのではないか。
 

 「私は、朝に道を聞くならば、夕方には死んでも構わない。」(孔子
 

 この、執念にも近い道への熱情こそ、われわれ哲学者に必要なものではなかろうか。そして、次のような先生の言葉となると、もはや納得を通り越して先生の姿勢に驚嘆せずにはいられない。
 

 「私は、女性を好むように徳を好む者をまだ見たことがない。」(孔子
 

 こういう言葉が出てくるあたり、すごすぎるのである。僕なんて、ここ数日はモモランドなるグループが気になってて、もはや脳内リピートされすぎて頭から足までBboom Bboomな状態なのであるが、孔子先生によれば、思想家にはアイドルのことを気にしている時間はないのである。モモランドやTWICEより、徳をこそ追い求めねばならぬ。
 

 さて、哲学者は、次の二つのもののどちらを追い求めるべきであろうか。

 1. 真理。
 2. 哲学ガールたちの黄色い声。
 

 1であることは、言うまでもなかろう。だが、僕にそれだけの芯の強さがあるのか。有村架純ちゃんのような哲学ガールが、万一このphilo1985にぞっこん入れあげてキャーキャー言ってきたとしても、それを撥ねつけるだけの硬派な気概が、果たしてあるであろうか。現在のところのそのような心配は完全に無用であるが、しかしである……。
 
 
 
 孔子 哲学 モモランド BboomBboom Twice 有村架純
 
 

 「わたし最近、韓国料理にはまってるんですよー☆」
 

 なるほど。しかしカスミちゃん(仮名)、申し訳ないが、休日に君と新大久保に出かける時間は、俺にはない。俺は君とチーズタッカルビをつつきながらボキャブラ天国(死語)するよりも、モリヌークス問題を考えることで忙しいのだ。
 

 「philoさん、キルケゴール好きなんですか?わたしも好きなんです。」
 

 なんだと。確かに、俺とてももちろんキルケゴールの愛読者の一人ではあるが、カスミちゃん、君みたいな女の子が『死に至る病』を読んでるなんてことが、本当にありうるのか。しかし、キルケゴールを好きな女子って、意外に多い。俺はそんなことでは、心を動かされはしない、はず……。
 

 「ハイデッガーも好きです。『哲学への寄与』は、Amazonで買って持ってます。」
 

 なんてこった。『存在と時間』ならともかく、よりにもよって『寄与』論考好きの女子なんて、俺はまだ出会ったことがない。カスミちゃん、ひょっとしたら君こそが、「選ばれし者 Chosen One」なのか(意味不明)。緑茶のおいしい夏がきたよー的なこの危機の状況の中で、哲学者としての俺の気概が試されている……。
 
 
(つづく)