イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「本当にもう気にしてないんです」

 
 しかしここ数日、僕は考えたのである。カスミちゃんのことはとりあえずエポケー(判断停止)するとして、哲学女子たちは、次の二つのタイプに分かれるのではなかろうか。
 

 1. ファッション哲学女子。
 2. 本物の哲学女子。
 

 1のファッション哲学女子たちは、若き哲学徒たちの間でもてはやされることも多々ある。
 
 
 彼女たちはぶっちゃけ、哲学そのものというよりは「哲学してる私自身」の方を愛しているように思われるのだ。
 

 これは何も、オシャレ系の哲学女子にはのめり込んだあげく、目も当てられないような仕方でフラれて一年間近くウォンウォン泣きまくったという苦い体験が僕にあるから言うのではない。それとも君は、僕が自分の個人的な恨みから言ってるとでも思うのかね。
 

 「……まぁ、その話を聞いたあとだと、そうなんじゃないかと思う人もいますよね、きっと。」
 

 僕は、個人的な事情を真理そのものに優先させるようなことはすまいと、常々自分に言い聞かせている。だから、白井さん(仮名)にケチョンケチョンにフラれた後のあの地獄の日々のことは、もはやきっぱりと忘れたのである。僕は哲学徒のはしくれとして、可能な限り客観的な立場から発言しているつもりだ。
 
 
 
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 いや何かね、ホントに哲学を愛しているなら、オシャレに気を使いまくってる時間なんてないんじゃないかと、僕は思うんよ。だって、あんなオシャレな靴とか買う必要あるのか?
 

 いや何も、僕は、哲学女子はすべからくオシャレすべきではないと言ってるのではない。オシャレしてて美しい、それはいいことだ。いやホントに、僕もそれは全然嫌いではないんよ。しかしだ、あの靴とかネイルはおかしいだろうよ!ホントに哲学が好きなら、そのネイルは何なのだ!?
 

 「落ち着いてください!なんかもう、話が完璧に個人的な方向に行ってますよphiloさん!」
 

 ……はぁ、はぁ。いやすまん、もう落ち着いた。僕は大丈夫だ。ただ僕はね、白井さんが本当に哲学が好きだったのなら、どうして僕のような筋金入りの哲学人間を捨てられたのかがわからんのだ。
 

 なぜなんだ、白井さん。途中までまんざらでもなさそうだったじゃん。それともそれは、僕の思い込みだったのか?なんでメールに返信もくれなくなったんだ白井さん、うおおん、うおおおおおぉん!
 
 
 
 
 
 
 

[2018年現在の筆者は、「どちらにしろ、あなたとは付き合えない」と言われた心の傷から完全に回復しています。]