イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ローテンションの過ごし方

 
 今朝は何を書いていいか、わからないのである。
 

 「……はぁ。」
 

 もともとは哲学者としてこれからも勝負してゆくのだとか、そういうアグレッシブなことを書こうとしてたけど、なんかそういうテンションでもないのである。静かな朝だ。このままずっとボーッとしてたい気もするが、とにかくホントに書くことがないのである。
 

 「……書かなきゃいいんじゃないですか。」
 

 それがさ、最近は結構近い日に書いたものをアップしてるから、今日書いとかないと後が詰まってしまうのだ。別に、絶対に二日に一度アップしなきゃいけないってこともないんだけど、一度やり始めちゃったら、それを乱すのもなんか違う気もするしなぁ。連載マンガ家の人たちとか、本当に大変なんだろうなぁ。
 

 「なんか、相当に書くことないって感じですね。」
 

 うん。でもさ、こういうわりとボーッとした気分の時にバリバリやる気のあるものを書こうと頑張り続けたら、たぶん病んじゃうんじゃないかと思うんだよね。いやでもさ、やっぱり書くことに本気出してガチで勝負するってなったら、少しは無理をしてでも頑張るべきなのだろうか。
 

 たとえばだ、めっちゃ人気なジャンプのマンガ家でも、友情・努力・勝利のハイテンションが毎日キープされてるってことはないはずである。てことはマンガ家の人たちって、やっぱり時には無理をしてバトルシーンを描いてることもあるんだろうか。
 
 
 
哲学 連載マンガ家 テンション バッハ ゴルトベルク組曲 友情 努力 勝利
 
 

 ……でも今思ったけど、ネームはともかく絵入れはローテンションでもできなくはなさそうな気もする。まいいや、それはおいといて、僕自身はどうするべきか、いつものように二択で考えてみる。
 

 1. テンションの低い時でも、全力で書くべきである。
 2. テンションの低い時は、低空飛行もやむなしである。
 

 現時点では、圧倒的に2でいいんじゃないかという気がするんよね。人間って、本当にいろんなテンションの時があるし、逆に、相手のテンションがいつも高くても、あるいはいつも低くても困るのではなかろうか。
 

 ただ、こうして考えてみると、テンションの上がり下がりって人生に彩りを与えるものなのであるなー。
 

 バッハの『ゴルトベルク組曲』とかも、跳ねている時もあれば穏やかな時もある。沈んでる時もある。大切なのは気分を無理やりコントロールすることではなく、むしろその時に与えられた気分をじっくり味わうことなのではないかということで、今日の結びとしたい。