イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

痛みの問題と哲学の限界

 
 ううう、なんか、目の調子がよくない気がする……。
 

 「……目が痛いんですか?」
 

 うん。もともと、ここ数年あんまり調子がよくないのではあるが、ここ数日はマルクス・ガブリエルの本が気になったりで、少し使いすぎたのかもしれない。目って使ってないつもりでも、何かに熱中してると気がつかないうちに使ってるからなぁ……。

 


 鬱である。ジェームズ(こっちは小康を保っている)といい、体の調子が悪いのって相当にデプレッシブである。でも最近、体の調子ってもともと悪くてもある意味フツーなのかなとも思えてきたのである。

 

 ていうかさ、最近、昔よりもずっとリアルに感じられてきているのだが、女性には月一回、セイリの苦しみなるものがある。よく言われることではあるけど、あれって男性がそれを被ることがあるとしたら、おそらく耐えられないのではないかと思うのである。
 

 いや、怖すぎるのである。こないだ、その当の女性たちの一人から聞いた表現を用いるならば、出血の際には、あたかも何らかの邪悪な新生物が生まれてくるかのごとき違和感があるという。人によって個人差はあるようだが、その痛みを毎月耐えぬいていることには、ただ敬服するばかりである……。
 
 
 
マルクス・ガブリエル ジェームズ 生理 信仰者 痛みの体験 痛みの幻想
 
 

 目が痛いので突然弱気になっちゃったけど、僕はいち信仰者として、おお主よ、僕の目の痛みを含むすべての痛みからこの世を救いたまえかしと祈ることしかできないのである。
 

 この点、哲学は痛みの問題にたいするおのれの無力を告白せねばならないのではなかろうか。痛みの体験って、理性の力の及ぶ範囲を大幅にはみ出してる気がするのである。本当に苦しい時って、ただ助けてくださいと天に祈るほかはないのではなかろうか。
 

 ただ僕の場合、目の調子が悪いのではないかと思いこみ始めたらもうだめで、おおこの世の終わりだ、辛いよう苦しいよう、いろいろ反省しますごめんなさいとなってしまうので、今も本当に調子が悪いのか、それとも痛みの幻想にとらわれてるのかは自分でもわからないのである。しかし、とにかく主よ、御心であるならば、わが苦しみからわれを遠ざけたまえかし……。