イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「求めよ、さらば与えられん」

 
 ところで、福音を伝えるという話題に関しては、次のような意見もあるかもしれぬ。
 

 キリスト者への疑問:
 なぜキリスト者は、他者たちに福音を伝えねばならないと考えているのであるか。自分たちだけで信仰を続けるというわけにはゆかないのか。
 

 まず確認しておきたいのは、どんな場合にもとにかく全力で福音を告げ知らせまくるというのは、言うまでもなくNGであるということである。空気は読まねばならぬ。
 

 いやでも、とりあえずぶっちゃけておくことにしたい。ごめん、うっとうしいだろうけどどうか聞いてほしいのである。このブログで僕がやりたいのは、福音を聞きたいとか別に全然思ってなかった人に、福音の存在を知ってもらうことなのであるよ!
 

 「……はぁ。」
 

 たぶん、自分で本当に福音のことを知りたいとすでに思っていたとすれば、その人はすでに聖書に手を伸ばしているであろう。そんで何かを強く感じたとしたら、さらに読みまくるとか、ひょっとしたら近所の教会に行くとか、YouTubeでハーベストタイムメッセージステーションを聞くとか、色々してみるであろう。求める人には、恵みによって道が開かれてゆくものなのである。
 

 しかし、なんかキリスト教とか微妙に興味なくはないけど、深掘りするほどではないんよねーみたいな人も、実は結構いるはずである。僕は言いたい。どうか、深掘りしていただきたい。地の底にたどり着くほどまでに、聖書の世界を深掘りしまくってもらいたいのである……!
 
 
 
福音 キリスト教 信仰 Youtube ハーベストタイムメッセージステーション 聖書 サク山チョコ次郎
 
 
 
 しかし思う。人間って、あまのじゃくなところがある。たとえば、ホントいいからこれ絶対聴いてみてとかって言いながら音楽を紹介されると、場合によっては、いやもう絶対ガチで金輪際聴くまじなんてことにもなりかねないのである。勧めることによってかえって遠ざけることになりかねないという点については、キリスト者はつねに注意しておく必要があろう。
 

 いやでも、多分、誰にも何も言われずに自分から聖書を手に取ろうって人は、ウルトラレアなのである。名前は知られてるけど読まれたことない本ランキングとかあったら、上位ランクインすることは間違いないのではなかろうか。われらキリスト者が聖書の存在を宣べ伝えなければ、この本はどんどん読まれなくなってゆく一方なのではないか……。
 

 気がついてみると、なんか最初の疑問からは話題が逸れてしまったが、とにかくそんな感じなのである。そして、ほんとに全然関係ないけど、僕はサク山チョコ次郎というチョコレートのお菓子のことが、ここ数日大変に気になっている。マスコットキャラクターがやたらにかわいいので、これはどこかで一度は買わねばならぬと思っている次第である。