ところで、メシア(=キリスト)の到来を待望していると書くと、中には次のような疑問が出てくる向きもあるかもしれない。
この疑問は、まことにもっともなものである。これに対しては、次のように答えねばならぬ。
問いへの答え:
はい。もう来たは来たんですが、聖書によれば、これからもう一度来るんです。
いやこれ、たぶんすでに書いた十字架と復活以上にハードルは高いと思うんだけど、とりあえず聖書にはそう書いてあるということで、事を収めてほしいのである。ていうかさ、僕はだいぶ前に悩みまくったあげく、最後に受け入れて信じちゃってから結構時間が経ってるるから今はもう半ばマヒしつつあるんだけど、やっぱり終末とかうかつに口に出したりすると、普通はヤバいやつって思われるのかな?
「……まぁ、まず十中八九はそう思われるんじゃないですか。」
だよね。いやしかし、僕はお願いしたい。どうか、コミュニケーションの回路を切らないでほしいのである。くり返しにはなるけど、とりあえず聖書ではそうなってるんだなということで一つよろしくお願いできまいか。これ以上なんと言ったらよいのかよくわかんなくなってきたけど(「お願いできまいか」と書いてから五分以上が経過したが、何を書いていいかは依然として不明である)、とりあえずはそんな感じなのである……!
さて、聖書によるならば、キリストはこの地上に計二回来ることになっている。
2. 再臨 時期: 終末(その正確な時期は不明)
イエス・キリストは、再びこの地上にやって来るであろう。
イエス・キリストは、再びこの地上にやって来るであろう。
こうやって書いてまとめた後に眺めていると、コミュニケーションの回路が完全に絶たれるのではないかという懸念に襲われるが、それはともかく
初臨はもう終わったので、あとは再臨を待つのみなのである。この観点からいうと、キリスト者とは正確には、「メシアはもう来ちゃったんだけど、もう一回来るのでそのもう一回来るのを待ち望んでる人々」なのである。
ぶっちゃけて言うと、たぶんクリスチャンの人たちの中でも、この再臨をシリアスに受け止めてるわけではない人って結構いるのではないかと思う。でも、使徒パウロから内村鑑三先生に至るまでの先人たちは、「再臨ぬきのキリスト教信仰はありえない」という点で軒並み一致しているのである。
というわけで、福音を語るという場合には、終末について語ることを外すわけにはゆかないのである。その点を確認した上で、再臨なる波乱含みのテーマについて、もう少し掘り下げて考えてみることにする。