イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

荒野を恐るることなかれ

 
 「福音について書き始めてからブログのアクセスが減っている」と書いたところ、その記事をアップしたツイッターの投稿に少なからぬ「いいね」を付けていただいたのである。
 

 このように励ましをいただいていることについては、本当に感謝としか言いようがないのである。書いたものに何か反応がもらえるというのは、決して当たり前のことではない。ある意味ではどんどんディープな方向に突っ走っているこのブログにも励ましが与えられていることは、まことに恵みとしか言うほかないのである……。
 

 ちょっと大げさかもしれないけど、バプテスマを受けたころの三年前の自分の状態に比べると、本当に今のこの人生には感謝である。そして、信仰と人生の関わりについても、三年前とは少しずつ違う段階に入りはじめているような気がする。
 

 というのは、最近になってようやく、福音を伝える準備が整ってきたように思われるのだ。前はとにかく自分の人生に絶望していて、本来は他の人のことよりもまずは自分の絶望を何とかしたほうがいいんじゃないか的な状況の中で神学校に行こうとか色々焦ってたから、頑張ろうとしては自滅してぶっ倒れるというパターンをくり返していた。
 

 まだまだ修練が必要であることは言うまでもないが、今の僕は三年前よりもだいぶ元気である。たぶんこう言ってもいいと思うのだが、主は、まことにわれを死者の中から復活させてくださったのである……!
 
 
 
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 今まであんまり書いてこなかったけど、僕は仲間のキリスト者の人たちからも、多大な励ましと慰めをもらってきたのである(特に中高科のリーダーの人たちには、一緒に楽しく奉仕できて本当に感謝である)。キリストを共に信じる友たちと苦しみと喜びを分かち合うというのは、今さらだけど本当にすばらしいことである。
 

 さて、本題に戻るとしよう。
 

 僕には、もう普通に哲学しつづけるということはできなさそうである。いや、哲学ももちろん続けるんだけど、それはやはりキリスト者として哲学を続けるのである。
 

 そして、キリスト者として何かを書いてゆくという時に、求められることとは何か。福音を語ることである。福音を語らなければ、わが人生に真の幸福はない。
 

 ならばphilo1985よ、荒野を恐るるなかれ。そこには神の救いを宣べ伝えるべき、無限の空間が広がっている。人の誉れを求めることなかれ。ただ人間を救いに導く神の愛を、何ものにもはばかることなく宣べ伝えつづけるべし……!