イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

教会とは何か

 
 話が逸れたついでに、ここで一度、教会なるものの存在について考えておきたい。
 

 キリスト者の共通了解事項:
 教会とは、キリストの体である。
 

 これは使徒パウロが彼の手紙のさまざまな箇所で語っているところの、教会についての根本認識である。
 

 この見方によるならば、教会とは、全部ひっくるめて一つのキリストの体なのである。この点については、教派も宗派も関係ない。キリストを信じて聖霊を受けているならば、その人はただちにキリストの唯一なる体の一部分なのである。
 

 ここで聖霊とは何かについて語りはじめるとすると、話がすさまじいカオスに陥ってしまうことは避けられないゆえ、とりあえずその話はスルーする。しかしとにかく、聖書によるならば、キリストの十字架と復活を信じた人が神から聖霊なるものを受けることは確かなのである。
 

 というわけで、キリスト信じました→聖霊受けましたという流れがあることとしよう。んでそしたら、後は洗礼さえ受ければもう、正式に教会のメンバーである。今書いてて気づいたけど、洗礼についても本来は説明が必要であるが、これもまたとりあえず今はスルーということで進ませていただきたい……!
 
 
 
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 話がこんがらがってしまったが、いずれにせよ、キリスト信じました→聖霊受けました→洗礼受けました、で正式にキリストの教会の一員である。そしてくり返しになるけど、この点については教派も宗派も関係ないのである。
 

 キリストを信じ、神の愛をよりどころにして生きる人はすべてこれキリスト者である。よく言われるところだが、日本の人口の約1%はキリスト者だそうである(実質的にはもっと多いんじゃないかという声もよく聞かれる)。すなわち、この計算によるならば、この国にはだいたい150万人〜200万人くらいのスケールの教会があるということになろうか。
 

 さらに国を超えて世界にまで話を広げるならば、そのスケールがさらに広がることは言うまでもない。僕は、ポーランド&リトアニアと韓国の教会の人たちとは現地に行って交流したことがあるけど、この地域を全部合わせても全体からみればほんの小さな部分にすぎないことは言うまでもない。
 

 この『イデアの昼と夜』も、キリストを宣べ伝えるビッグ・ウェーブを作りあげている一滴の水なのかと思うと、まことに何か不思議な思いに捉えられる。僕もこの巨大なる体の一細胞として、日々の命を燃やしつづけねばならぬ……!