イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「波は、あなたのもとに……。」

 
 前々回の記事で用いた「キリストを宣べ伝えるビッグ・ウェーブ」という表現については、次のような意見もあるかもしれぬ。
 

 キリスト者への一意見:
 ビッグ・ウェーブねえ……。こんなこと言ったら申し訳ないかもだけど、わたしの所にはそんな波、全然届いてないわね。まわりにも、キリストを宣べ伝えてる人なんて全くいないわよ。
 

 この意見、まことにもっともである。しかしマドモワゼル、どうか次のようなキリスト者の声に、耳を傾けてはもらえまいか……!
 

 あるキリスト者の回答:
 確かにそうかもしれません。しかしマドモワゼル、少なくともあなたは僕から福音の言葉を今、聞いているはず……!
 

 いやこれね、ホントそうなのである。たぶんね、僕みたいにフクインフクインって叫びまくってる人って、少なくともこの国にはあんまりいないと思う。
 

 でも、僕なんか全然中途半端な方で、この国にも世界のいたる所にも、福音伝道のために命を捧げている伝道者の方々が、たくさんいるのである。
 

 彼らは、神の愛を伝えるために人生を賭けて、今日もどこかで奮闘しているのである。僕は今週の日曜にも、日本にやって来てるアメリカ人宣教師夫妻の宣教を聞いてきたのである……!
 
 
 
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 言うまでもなく、信仰なるものには大変にデリケートなところがある。僕もこういう記事を書きながら、ヤバいやつ認定を受けるのではないかと心臓が毎秒バクバク言ってるくらいである。
 

 いやでもね、どうか少しだけ話を聞いてもらえまいか。僕は行き過ぎた勧誘もしないし、お金が欲しいわけでもない。いや、何かの事情で僕にどうしてもお金を渡しくて仕方ない、頼むから私の現金を受け取ってプリーズという人がいるならばもらうのにやぶさかではないが、そんな奇特な人はもちろん現れるはずもないのである。
 

 この世の続くかぎり、わが救いがたき魂から煩悩がすべて消え去る日は来そうにない。しかし、主はこんな救いがたい僕にも福音を宣べ伝える仕事を与えてくださっている……はず。なんか自分で書いてて不安になってきたが、ここはひとつ覚悟を決めて、走れるかぎりは命の続くかぎり最後まで走り続けるほかあるまい。
 

 というわけでこのブログは、「いやもうマジで福音を伝えたいだけだから、キリスト教とか聖書に興味ある人は読んでねブログ」なのである。あとは、21世紀の哲学はどうあるべきかという問題に関心のある人にもたまに目を通していただけるとしたら、これ以上に嬉しいことはないのである……!