イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

すごいぞ、頼朝

 
 クリスマスとはほんとに全然関係ないんだけど、最近、鎌倉時代の歴史にはまっているのである!
 

 「……鎌倉時代、ですか。」
 

 うん。ていうか、特に源頼朝という人物からは、何か学びとるべきものがあるような気がしてならないのである。
 

 頼朝の人生は、THE・逆転人生である。少年期に殺されかけて九死に一生を得たのち、伊豆に流されて待ちに待ってか・ら・の・大フィーバーである。うおぉ決起したる、みたいな!東国武士とともに一旗上げたる、みたいな!
 

 「……はぁ。」
 

 いやもう、頼朝が最初に平清盛に牙をむいた時は、味方はたった40騎しかいなかったのである。
 

 フツーに考えれば、負け以外には何も見えない戦局である。応援を頼んだある武士からは、「いやーそんなんで兵士に逆らうなんて、富士山と背比べするようなもんじゃないすか」と言われたくらいである。しかし、頼朝はあきらめなかった。
 

 根性さえあれば空でも飛べるんじゃあとでも言わんばかりのテンションで、関東の武士たちにさらに手紙を送る。いわく、俺は東国を支配する権限をもらえると、令旨によって約束されている。俺で間違いない。この頼朝について来てくれれば、お前らの領地はすべてこれ、一つ残らず「本領安堵 HONRYO ANDO」だ、と……。
 
 
 
 頼朝 東国武士 伊豆 平清盛 本領安堵 石橋山 philo1985 サムライ
 
 
 
 この手紙の内容は、まったくの口から出まかせであった。東国を支配する権限の約束なんて、実は全然してもらってないのである。まさしく、でっちあげ以外の何物でもない決起の呼びかけであった。
 

 だが、無理が通れば道理が引っこむ。つじつまなんて、最後に合わせればどうにでもなるのである。うおおやってやるんじゃあくそったらぁ、どうせわしには何も失うものなんてないんじゃあキエエエェ!みたいなノリである。
 

 とにかく、頼朝が決起したと思ったらいきなり石橋山でボロ負けして、屈辱をなめながら箱根を這いつくばり、海を渡ってからの大覚醒の中、猛進劇で突っ走りながら雪だるま式に勢力を増しつつ最終的にぶっちぎるまでの流れは、先行きもわからないままにどんどんうねりがうねりを呼んで、何だかよくわかんないけどものすんごい勢いでツイストしまくってくみたいなところがあって、もう大興奮以外の何物でもないのである。うおおおぉ、このphilo1985も一人のサムライとして、何かとてつもなくでかいことをやらねばならぬ気がしてきたのである……!
 
 
 
 
 
 
 
 
[本記事の内容は、先日、塾の生徒から「先生、マジで将来どうすんの」との質問を受けた事実とは一切無関係であることを付言しておきます。]