イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

若者よ、君はなぜ今も

 
 この機会に、書くということについて考えておきたい。何か見えそうなのである。おそらく、この何かは僕の人生にとって、かなり重要なことなのではないか……。
 

 作家志望の若者のことを考えてみる。若者って言っても、もうそろそろ人生どうすんの君っていうくらいの年に達した男だ。彼は世に知られることもないまま、そんなもの書いても何になるんだかわからんものを毎日せっせと書き続けるわけだ。
 

 彼がいつかやって来る「その日」を待っていないといえば、もちろん嘘になるだろう。その日っていうのは、人々が彼の書いたものを読むことになる日のことである。彼はいつの日か、うおぉ、こんな書き手がいたのかという叫び声を上げさせねばならん。すごすぎるよこれ、もうこんなもん出ないと思ってたけど、これマジで文学だわと言わせねばならんのだ。
 

 でも、その男にとってはそんなことよりも、もっとずっと気にかけなくてはならんことがある。それは、自分の書いてるものが本物の文学かどうかということだ。
 

 文学かどうかっていうのは難しい問題だ。人によって意見も違うし、難しい言葉を使えばいいっていうものでもない。でもその男にとっては、自分の書いてるものが文学かどうかというのは、ほとんど死活問題っていうくらいに重要なことなのである。いやしくも彼が本物の作家を目指すっていうなら、そうでなければならぬ。
 
 
 
 作家志望 若者 文学 岩波
 
 
 
 結局のところ彼が目指しているのは、最後には自分がまだ本当に若かった頃に彼の人生を変えてしまった、そういう伝説的人物たちの一人になることなのである。
 

 いやもう、人生踏み外したなぁ。でも色々あって気がついてみたら、もう踏み外したとも思わなくなってきてるなぁ。ていうか、かなり僕は幸せなんではないか。世間的に言えば残念な感じなのかもしれんが、僕的には結構いい感じと言えなくもない。
 

 だが俺よ、なぜ君は書き続けているのだ。君は自分のことを幸せだと言うかもしれんが、それならばなぜ君は今も何にもならんかもしれんものを、毎日せっせと書き続けているのかね。君はまだ心のどこかで、書いてやりたいのだ。かつての君みたいな馬鹿な若者が、これのせいで人生完全に踏み外したみたいなものすんごい代物を書いてやりたいのだ。
 

 結果はわからんよ。だが、君がどちらにしろいつまでもみっともなく諦めきれないということだけは、こちらにはよくわかっているのだ。これが岩波に残らんならその時は俺ではなく岩波だと言えるくらいのものを、書いてみたまえ。他に何もなくても悪あがきをする時間だけはたっぷりあるということは、君とて知らんわけではあるまい……。