イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

たまには真面目な話を

 
 たまには、哲学的に真面目なことを書きたくなったのである。前回までの流れの続きではあるが、今から思いつくままに書き連ねてみることにする。
 

 最初に断っておくと、これから書くことは、たぶん哲学に興味を持っていない人には全然面白くない。ていうか、哲学に興味あるっていう人にとってすら面白くないかもしれぬ。しかし、少なくとも自分的には哲学的に重要だと思われることを書くので、気が向いた方は目を通していただければありがたいのである。
 

 さて、まずは哲学とは何かというビッグ・クエスチョンに、今の自分なりに答えてみることにする。
 

 philo1985の現在の哲学観:
 哲学とは、人間性の探求である。
 

 いや、これは面白くない。いたってフツーじゃん、というツッコミは避けえないであろう。しかし考えてみれば、たとえばドゥルーズの「哲学とは概念の創造である」というテーゼにしたって、それだけ見ればいたってフツーなのではあるまいか。
 

 僕も昔は、なんかカッコよさそうな響きを持っている概念に熱中してた時期もあった。たとえば「欲望する機械」とか、「対象a」とか。
 

 今もそういう概念を使ってものを考えた先人たちに対するリスペクトには全く変わりはないんだけど、カッコいい言葉の響き自体には、前よりも興味がなくなってきているのである。枯れちゃったような気がして少し寂しく思うところもなくはないが、哲学徒としてはだんだん本質だけに目を向けることができるようになってきたという気がしなくもない。
 
 
 
哲学 philo1985 人間性 ドゥルーズ 欲望する機械 対象a 退屈
 
 
 
 で、人間性の探求である。まずはこの言葉は、およそ人間に関わることすべてに飽くなき関心を持ちつづけることを意味するであろう。
 

 哲学を学び始めて、およそ十五年。気がついてみると、僕は退屈な時間を過ごすということがほとんどなくなってきている。昔はもっと、人生そのものに退屈を感じていたような気もするのだが。
 

 退屈がなくなった最も大きな理由の一つは、人間への関心が以前よりも強まってきたことがあるのではないかと思う。自分にしても他の人にしても、あるいは歴史にしても耳に入ってくるニュースにしても、人間に関わることって本当に面白い。このまま人間について学ぶことができるなら、人生にうんざりするということは、そうそうなさそうである。
 

 こういうわけで、もしも十五年前の自分から「哲学を学ぶうえで、何か気をつけるべきことはありますか」と聞かれるとしたら、少なくとも今は、およそ人間に関わることすべてに飽くなき関心を持ちつづけるように、と答えるであろう。昔の僕にそう言うとしたら、なんでこんなフツーのこと言うのかなこの人みたいな顔をされるかもしれないが、これにまさるアドバイスは、そんなに多くはないのではないかと思うのである。