死後の逆転ということに関しては、言っても仕方のないことかもしれぬとはいえ、やはり次の問いを発さずにはいられないのである。
philo1985の疑問:
仮に大傑作を書き残して死んだとしても、それが知られずに終わる可能性は存在するのか?
いやこれほんと、そんなこと言ってる前に自分の畑を耕したまえ(cf.ヴォルテール)って言われちゃったら終わりではあるのだが、これ絶対、文筆の道に身を捧げようと考えたことのある人は、みんな考えたことがあるはずである!それとも、僕の思い過ごしなのか?
「……どうなんでしょうね。」
たとえば、前回に名前を挙げたフランツ・カフカである。
カフカの小説って、断食する芸人の話とか、あるいは巣穴の中でいろいろ不安になってる謎の生き物の話とか、要するにめっちゃマニアックなわけですよ。ていうか、よくこんなにマニアックなものばっか書いてた人が世に認められたなーと思う。
しかもだよ、カフカは死ぬ前に、親友のマックス・ブロートに「自分の原稿は燃やしてくれ」と言っていたらしいのである!燃えちゃったら、もう全部終わりじゃん!それでいいんすか!うおおおぉん!
カフカの絶望ぶりにはただ唖然とするほかないが、それはともかく、歴史に名を残した先人たちの書いたものの多くも、かなりスレスレのところをくぐり抜けたという事実を考えると、上のような疑問が湧き上がってきてもやむをえないのではなかろうか。ていうか、これ絶対みんな考えたことあるはず……。
先に言っておく。人生、何が起こるかわからん。これからの人生、命のあるかぎり僕は書きつづけるつもりだが(書いてる現在、お腹がちょっとキリッとしてて恐すぎるようおおぉん)、もしも僕が死んだとしても、原稿は何ひとつ燃やすんじゃないぞ。いやもう、何がどうなるかわからんではないか。
ここで垂れ流してる駄弁だって、後世の目から見たら、ひょっとしたらちくま学芸文庫入りなんてことにもなりかねん。目をつぶると、ほら見えないか、書棚に浮かぶ『イデアの昼と夜』(全25巻、各1200円+税)の背表紙が。いいか、もう一度だけ言っておくが、何ひとつ燃やすんじゃないぞっ!
「……philoさんが中学生の時に描いてた恥ずかしマンガもですか?」
うおおぉん!馬鹿者、それは燃やせっ!あれだけは絶対に日の目を見せてはならん!
「……大学の時に描いてた小説はどうします?」
な……小説だと……?むぅ、あれは確かに若書きも若書きの、めちゃんこ恥ずかしい門外不出の作品群ではあるが、しかしひょっとしたら何かの間違いということも……うむ……ちょっと待ってくれ……。
ていうか、ホントこんなこと考えてる前に努力したほうがいいのではあろうが、思い返してみると、つくづく昔からロクなもん書いてないなこれ。しかし、もはやここまで来てしまったとなれば、このままの路線で突っ走って、ワンチャンちくま学芸入りを狙うしか……ぶつぶつ……。