イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

求道者の述懐

 
 まずは、今回の探求で掘り下げてみたい命題を提示しておくことにします。
 
 
 命題:
 わたしとは、他の誰でもない「この人間」である。
 
 
 前回の探求に引き続き、筆者自身の例を取るならば、筆者は竹野内豊でもなければ、ジャスティン・ビーバーでもなく、philo1985という一人の人間です。筆者はいちクリスチャンとして日曜日は教会に通いつつ、哲学者としては、うだつの上がらないいちブロガーとして哲学界に挑戦し続けるという日々の勤めにいそしんでいます。
 
 
 友よ、聞いてくれ。俺はこの四年間で方針を変えたのだ。ぶっちゃけ、前はもっとチャラチャラした感じで売れたいと思っていた。この業界とかほんと人も少ないし、死ぬ気でやれば何とかなるんじゃないかと思っていたのである。
 
 
 だが、今は違う。死ぬ気でやるのは今もぜんぜん変わらんが、もう売れたいとは思っていない(というか、真面目な哲学ブログを書いても売れるわけないという事実に、もっと早く気づくべきであった)。それよりも俺は、修練を積んで、熟達した本物の哲学者にならねばならんのだ。
 
 
 打ち明けて言えば、今も俺はこの歳でいえば、まざまあなところまで来てるんではないかと思ってはいる。だが、本物への道のりはといえば、おそらくはまだまだこれからなのである。マジで死ぬ気でやらんと、哲学の歴史とは闘えん。日々書いて、それ以上にたゆまず勉強して、それでも最終的にどうなるのかは全くわからんのである……。
 
 
 
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 いきなりこんな話になってしまって申し訳ないのだが、もう少し書かせてくれ。俺は、今くらいの時期のうちにこういう風に思えるようになったことは、まぁ悪くはなかったのではないかとも思うのである。
 
 
 前は、大学にいるわけでもないし、売れないとマジでどうにもならんと思っていた。要するに、最終的には出版社と絡まないとどうにもならんと思っていたのである。
 
 
 だが、書いたものを読んでもらえるという意味でなら、意外と真面目に読んでくれる人って、数は少なくても確実にいるのである。ツイッターにしてもブログにしても、本当は何かに媚びたりする必要などないのかもしれぬ。
 
 
 そういうわけで、今の課題とは一切の忖度を振り捨てて、ただ哲学の道を突き進むことである。そうは言っても、人間はおそらく、無意識のうちにいろいろ忖度してしまうのではあろうが、それも含めてすべて納得しつつ、できるところまで走り続けることである。
 
 
 というわけで、俺は書き続けねばならぬ。今はしょぼいかもしれんが、最後には生身で空母に立ち向かうシュワルツネッガーのように、このブログで哲学界を撃沈させるつもりだ。こんな戯言に付き合ってもらっていることにはただ申し訳ないというほかないが、全国に数えるほどにはいるであろう哲学求道者の諸君、俺はいずれにせよ、諸君に損をさせるつもりはない……。