イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

片方だけが相手のことを友人と思っている例

 
 コミュニケーションの危険
 ①:コミュニケーションにおいては、できる限り全てのことを口に出して言い合う方が、互いにとって益である。
 ②:しかし、相手に対して何かを言えないという状況は、容易に解消できるものではない。
 
 
 気楽さ、あるいは深い安らぎは、コミュニケーションにとって最も大切な要素の一つです。そして、これらの感情は、思っていることをなんでも口にすることができるという信頼感と切り離すことができません。
 
 
 しかし、性格・年齢差・立場の違いといったさまざまな事情から、すべてを言い合うことが困難な場合は多々あります。ここでは、XとYという二人の人物を例にとって考えてみることにしましょう。
 
 
 Xはあけっぴろげな性格で、友人に対して大概のことは言うことができます。そして、Xは、Yのことを何でも話せる親友であると思っています。
 
 
 しかし、そう思われているYの方はかなり気の弱い性格で、実はXと会うことになるたびに少なからず憂鬱を感じています。それというのも、Xは会っても一方的に自分の話をするばかりで、YにはXとの会話の中で喜びやくつろぎを感じることがほとんどできないからに他なりません。
 
 
 
コミュニケーション X Y 友人 他者
 
 
 
 確かに、Xの方も、形の上ではYに質問を向けることもなくはありません(「最近どうなの?」「〜の事ってどうなった?」etc)。
 
 
 けれども、XにはYの話を相手の立場に立って受け止める気がほとんどないので、XはYの話に耳を傾けながら話を聞き出すかわりに、Yにアドバイスを与えようとします。Xは、自分では自身のことを、面倒見のよい世話好きの人間と思っているというわけです。
 
 
 一方、Yは、Xのことを本当は友人とすら思っていないのかもしれません。
 
 
 「Xには言えないけど、もうこれ以上Xとは関わりたくない。」けれども、部外者の目から見ると、XとYはとても仲のよい友人同士に見えるから不思議です。わたしがYと本当の意味での友人になって、Yが自分の気持ちを率直に打ち明けてくれるようになれば「実はXのことは好きではない」とわたしに本音を漏らすようなこともあるかもしれませんが、それまでは、XとYが親友であるという外見が揺らぐことはないでしょう。
 
 
 上の例はあくまでも想像上のものにすぎませんが(しかし、これと似たようなケースは読者諸賢の身近においても恐らくは枚挙に暇がないのではあるまいか)、相手に対して何かを言えないということが、多大な気苦労とストレスの原因になるということは確かであるように思われます。筆者も、自分自身が数少ない友人たちに対してYに対するXのように振舞っていないかどうかだんだん不安になってきましたが、いずれにせよ、他者問題についての考察を今しばらく続けてみることにしましょう。