イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

先生と生徒の例

 
 論点:
 コミュニケーションから力関係という要素を除き去ることは、不可能なのではあるまいか。
 
 
 あらゆる人間関係には何らかの力関係が伴うのであるとすれば、当然、すべての言葉のやり取りの中には、何がしかの権力のようなものが働いているということになります。
 
 
 このことが最も明瞭に見て取れる例の一つは、先生と生徒の場合でしょう。たとえば、先生が教室で生徒に対して、「教科書の〜ページを開きなさい」と言ったとすれば、その言葉は不可避的に、無視することのできない強制力を持つことになります。
 
 
 生徒たちは通常、先生からのこの指示に逆らうことはできません。あまりにも頻繁に、ほとんど毎日欠かさずに行われていることであるだけに、先生も生徒もたいていはこのことが持つ意味に対して無自覚になっているとはいえ、このことは、改めて考えてみると非常に興味深い人間学的事実であるといえるのではないか。
 
 
 一人の人間のたった一言の言葉が、何十人もの別の人間たちの行動を即座に決定することができる。学校という場所が社会の中でも特に強大な権力関係が働く領域であるということは、今さらながらとはいえ、哲学者に対して教えるところが少なくないのではないかと思われます。
 
 
 
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 とある日の先生の予告:
 「来週の水曜日に、小テストをするからな」
 
 
 上の言葉は、少なからぬ数の生徒たちにテスト勉強を行わせる効力を持つことになります。特に、そのテストが内申点と結びつく、あるいは、居残りや補習といったペナルティを伴うといった場合には、その効力はさらに大きなものとなるでしょう。
 
 
 ある生徒は、将来の指定校推薦のことを考えて、日曜日のディズニーランド行きを諦めるかもしれません。教師の言動が生徒たちの日常生活の流れにどれほど大きな影響力を及ぼしうるかというのは、にわかには想像の及びがたいところがあると言わざるをえません。
 
 
 学校という場所は社会の中でも特殊な領域であることは間違いありませんが、コミュニケーションにおける権力関係を考える上では非常に参考になることも確かです。もう少し、この例に即して他者関係についての考察を続けてみることにしましょう。