イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「知ろうと努めていれば、こんな事には……。」

 
 世界史のノートを借りたことがきっかけで、A君が熱烈に恋の炎を燃やしつつあるメガネっ子の船越さん(前回までの記事参照)は、すでに齢十六にして大量殺人の罪を犯し続けている恋愛サイコパスでした。
 
 
 歴史部の男性たちの中で彼女の凶行の犠牲となった人間は、数え切れません。その中には、彼女に対する失恋によって回復不可能なトラウマを負わされ、根深い女性恐怖に陥ってしまったG君、錯乱のあまり、正体不明の言葉をわめき立てながら近所の多摩川に飛び込んだあげく、危ういところで友人たちの手によって救助されたH君、発心して辞職し、インドへと旅立っていった顧問のI先生なども含まれていますが、当の船越さん自身は、彼ら一人一人のことなどはいちいち詳しく覚えているわけではないことは言うまでもありません。
 
 
 R.I.P.、歴史部の男子諸君。しかし、この惨禍を引き起こした船越さんの側にも、非難の言葉に対しては、被害者たちに言いたいことがないわけではありません。
 
 
 船越さんの言い分:
 あんたら私のこと好きとかどうとか色々言ってっけど、何も私のこと分かってねーじゃん。
 
 
 それもその通りで、男子たちは「船越さん自身である限りの船越さん」を理解しようとしたことは実は一度もなく、自分たち自身の中の「理想の女の子」を愛していただけでした。もちろん、その理想を演出して男性たちに夢を見せてしまった(殺害してしまった)船越さんの側にも非がないわけではなさそうですが、幻想を越えて他者自身の存在へと至ろうとしなかった男性たちの側にも、仁義礼智の修練が足りていなかったことは事実です。
 
 
 
世界史 メガネっ子 恋愛サイコパス RIP 推し リアコ ガチコ
 
 
 
 性急に愛するよりも先に、まずは理解しなければならない。この点が、恋の相手を「推し」と呼ばれる存在から区別する最も本質的な差異の一つかもしれません。
 
 
 「推し」(ファンたちが熱烈に愛するアイドルやキャラクター)については、誤解の可能性がほとんどありません。推しを推すのに必要な情報は、極めてユーザーフレンドリーな仕方で向こう側から提示されているので、ファンたちは、恋の体験に通常伴う不安と焦燥からは安全に守られています。
 
 
 ファンたちの多くも、この点を意識的にせよ無意識的にせよ認識しているので、ファンと推しとの間には、ビジネスライクなドライさとでも呼ぶべき、ある奇妙な雰囲気が漂っていることが往々にしてあります。「私はあなたと付き合うんじゃないんだから、色んな面倒くさいことを引き受けるつもりなんてない。楽に、都合よく愛させてもらうわ」というわけです(リアコやガチコと呼ばれるヘビーユーザーの場合には、この限りではない)。
 
 
 船越さんの場合、推しを通り越してもはや恋愛ゲームのヒロインなんじゃねーかこれと思わざるをえないほどに都合よく振る舞ってくれるにもかかわらず、そうした振る舞いは実は蟻を死地へ引き込む蟻地獄のそれにすぎないので、非常に凶悪であるといえます。時すでに遅しとはいえ、男性たちは自分にとってこんなに都合のよい話があってよいのだろうかと、もう少し自問してみる必要があったのかもしれません(「デモ、モウ遅イ、オマエ、久シブリノ獲物……」)。