イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

おお、ハムレット

 
 問題提起:
 告白という行為から、失敗の可能性を完全に除き去ることはできないのではあるまいか。
 
 
 告白する前に「相手も自分のことを好きなはずである」と考えるとしても、それが自分の側の思い込みである可能性は否定できません。
 
 
 数は少ない(?)とはいえ、世の中には船越さんのように、相手から告白されるまでは好意を振りまき続けるにも関わらず、告白する、あるいはそれに近い形で好意をあらわにした瞬間に態度を一変させてしまう人々も存在します。その場合には、マジかよ、それじゃあ今までの態度は一体なんだったんだようおぉんとしか言いようのない絶望に駆られることもあるかもしれませんが、告白する人は、そうした可能性をさえも前もって想定に入れておく必要があるのかもしれません。
 
 
 格率:
 告白する前には、どんな場合であっても前もってフラれる覚悟をせよ。
 
 
 人間には、他者が何を感じ、何を考えているのかを直接に知ることはできません。
 
 
 仮に相手の方も自分に対して好意を抱いているとしても、例えば、相手にはすでに彼氏あるいは彼女がいるため、付き合うつもりまではないのかもしれません。ゆえに若者よ、もし君が恋をしたいのなら、先に絶望しておくことだ。何故というに、前もって絶望のあるところにさらなる絶望はなく、絶望のないところに訪れる絶望こそ、その名にふさわしい本物の絶望であるのだから……。
 
 
 
 告白 天国 地獄 ハムレット シェイクスピア
 
 
 
 天国から一気に地獄へと突き落とされる可能性があるという意味では、告白という行為はまことに危険です。ひとはいわば完全に丸腰になって、生殺与奪の権利を告白する相手に譲り渡さなければなりません。
 
 
 しかし、告白するというこの行為がなければ、次の関係性に進むこともできません。男女の関係にはある時期を過ぎると非常に微妙なフェーズがやって来るもので、結果がどうであろうと、もはや何らかの仕方で告白あるいはそれに相当する行為に踏み切る、あるいはそれができずに逡巡し続けるという以外には選択肢がなくなってしまうことがあります。
 
 
 このフェーズは、まさしくハムレット的なそれとしか言いようがないものであり、ひとはそこで今を限りにと決断するか、あるいはそれができずにひたすら悶々とし続けることになります。このような遅滞と焦燥を一つの劇にまで仕上げたシェイクスピアの着想には、今更ながらとはいえ驚嘆の念を覚えずにはいられませんが、ともあれ、この特異な時間についての考察をもう少し続けてみることにします。