イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

デンマーク王子の逡巡

 
 ハムレット的状況の内実:
 ①わたしは、わたしの運命に決定的な影響をもたらすであろうところの、ある行為の実行に向かって踏み切らなければならない。
 ②しかし、その行為の実行はわたしに、死にも等しい結果をもたらしかねない。
 
 
 やるしかないことは分かっている。しかし、やってしまったら死ぬかもしれない。ハムレット的人間の置かれている状況はこのように、まさしく如何ともしがたいものであるといえます。
 
 
 何もできないうちに、ただ時間だけが過ぎてゆく。行為の世界においては何よりも思い切りが重要ですが、そのことは言うまでもなく、告白という行為についてもそのまま当てはまるといえます。
 
 
 鉄は熱いうちに打てとはよく言ったもので、恋なるものもまた、時期を逃してしまってはどうにもなりません。いつまで経っても煮え切らない男性がいるとすれば、最初は彼に対していかに好意を抱いていた女性といえども、次第に苛立ちを隠せなくなってゆくであろうことは間違いありません。
 
 
 「何なのよ、この意気地なし。手ぐらい握ったらどうなの。」
 
 
 妄想かもしれないとはいえ、そう言われているような気もしなくはないけど、どうしても勇気が出ない。いやもう、いっそ握ってしまえ、僕よ……。
 
 
 ああうぅ、ダメだ。俺は意気地なしで臆病者のキング・オブ・ヘタレだ。引かれたらどうしようとか思うと、今日もまたこうして何もしないまま彼女と解散してしまったではないか。心なしか、彼女の目線が冷たかったような気もする。おお俺よ、このウジ虫野郎!どうして俺にはいつまでも、告白に踏み切るだけの勇気が出ないのか……。
 
 
 
ハムレット 告白 へタレ 板垣死すとも自由は死せず キルケゴール
 
 
 
 「生きるべきか、死ぬべきか To be or not to be」。ハムレット的人間は、煎じ詰めればこのような一人言を延々と繰り返している自称「ウジ虫野郎」に他なりませんが、そんな気弱な彼あるいは彼女にも、何かのはずみで行為に踏み切ってしまうしかないという瞬間がやって来ることがあります。
 
 
 「A君、どうしたの?最近、何かおかしいよ。ひょっとしてA君、わたしのこと嫌いになっちゃったの?」
 
 
 嫌いになったわけないよ船越さんうおおおぉん、今だ、今この時にこそ言うしかないのだ俺よ、板垣死すとも自由は死せず、言うぞ言うぞ俺は今こそ言うぞ、船越さん、俺は君のことがす、す、す、す……。
 
 
 今や古典的定式となった観のある表現によれば、まさしく「決断の瞬間は狂気である」(byキルケゴール)とのことですが、A君を告白という行為に駆り立てているのも、合理的計算でもなければリスク管理思考ですらもなく、まさしく世に言う「その場の勢い」以外の何物でもありません。かくして、世界劇場の舞台役者たる人間存在は、彼あるいは彼女を破滅に追いやりかねない大勝負の方へと捨て身で乗り出してゆくことになるわけですが、哲学者であるわれわれとしては、このままスローモーションでいま問題となっている「大勝負」なるものの構造を探ってみることにしましょう。