イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

最新シリーズ

出会うことと喪うこと

論点: 近さの関係を築くことのできる相手とは、人生の中でも限られた数しか出会うことができない。 会う時刻と場所、言葉や行動といったさまざまな点において、近さの関係のうちにあるあなたとわたしが過ごす時間は、習慣の次元と深く結びついている。近し…

二人でいることの病い

次の論点に進む前に、一点付け加えておきたいことがある。 論点: 哲学の営みは、公共世界からの遠ざかりと共にしかなされえないのではないだろうか。 公共世界では政治・経済・社会などといったさまざまな領域について、常に多くのことが論じられている。し…

公共世界と近さの概念

探求の出発点: わたしが本当の意味で多くを知ることができるのは、わたしが深く関わることになる他者だけである。 学校や職場などといった公共世界のうちでは、人間は、自分自身の実存を多かれ少なかれ特定の様態へと切り詰めるのでなければ生きてゆくこと…

他者の問題圏へ

今回の探求の主題は、次のものである。 問い: わたしは他者について、何を知りうるか?そして、その他者といかにして関わるべきか? このような問いを立てることの背景には、主に言って二つの動機がある。まず最初に、前回の探求からの続きとして、「わたし…

真理問題をめぐる探求にひと区切りをつけるにあたって

「真理とは何か」という問いに対する目下の結論: 真理とは、認識の主体であるわたしを超えて、あるものが、それがある通りにあるという、そのことである。 この結論のうちには、これまで論じてきた存在の真理の次元と本質の真理の次元とがともどもに凝縮さ…

伝統的真理観としての一致と、その理念が提起する問題について

論点: 真理の超絶というイデーは、一致はいかにして可能なのかという問題を提起せずにはおかないであろう。 「真理とは、あるものが、それがある通りにあるという、そのことである。」真理を第一義的にはこのように定義するとしても、第二義的には「真理と…

真理問題に対する、これまでの哲学の伝統について

問題提起: 命題の真理、そして、人間が知りうるあらゆる真理は、真理そのものの次元に対して二次的なものにすぎないのではないか。 「真理とは、あるものが、それがある通りにあるという、そのことである。」もし真理がこのように定義されるのであるとすれ…

真理は二つ折れとして与えられる

真理の定義: 真理とは、あるものが、それがある通りにあるという、そのことである。 上の定義について、あと何点か付け加えて論じておくこととしたい。 上の定義には、「それがある通りに」という規定が含まれている。このことは、この定義のうちにはここ一…

真理の超絶

論点: 真理は、たとえ人間によって発見されることがなくとも真理であり続ける。 ハイデッガーの『存在と時間』においては、「人間は真理を発見することができる」から「真理とは、人間が発見することである」へのラディカルな移行を見て取ることができる。…

ハイデッガーへの疑義

論点: 真理は、第一義的には「覆いをとって発見すること」とは別のところで考えられる必要があるのではないか。 根本的なところから考え直してみることにしよう。ハイデッガーが『存在と時間』において主張したように、真理は本当に、発見されるからこそ真…

開示性としての真理概念

論点: 命題が世界について真なることを語るという事実のうちには、何か真に驚嘆すべきものがある。 いかなる命題においても、それが真なる命題である限り、そこには「ある」の受け入れがある(前回の記事参照)。そうなると、同じ命題の形をしていても、真…

命題と判断

論点: 命題の真理の真理性は奥深いところで、存在の真理によって基礎づけられている。 たとえばわたしが野原で、「この野原には、一本の木が立っている」と口にするとする。 この野原には実際、一本の木が立っている。この言明は命題として見るならば、真で…

無意味の問いが発されることのうちで……。

存在の真理: 存在者が存在する。あるいは、その極点においてはもはや存在者がではなく、「存在が存在する」。 現代の人間の抱えている問い、そして、あらゆる時代の人間が向き合い続けてきた問いとは、「本当は、すべてのことは無意味ではないのか?」とい…

眠りからの目覚めは……。

論点: 無ではなく、「ある」がある。 私たちは完全な無というものを一度も経験したことがなく、気がついた時には、すでに無数の存在者たちからなる世界の中に投げ込まれていた。しかし、それでもなお私たちにとって「そもそも、何かがあるというのではなく…

「わたし」は最も根源的なものではない

論点: 「ある」は、わたしをはるかに超えている。 現代の人間にとっては、思考する主体としてのわたし以上に根源的なものはないように思われるかもしれない。「世界はわたしの表象である」は、情報技術の加速度的な発展によって自分が望む通りにコンテンツ…

「あるはある」

論点: 存在者が存在する。あるいは、その極点においてはもはや存在者がではなく、「存在が存在する」。 あるものがある。存在者から存在者への連関とその総体としての世界は、わたしを超えて存在し続けてゆく。 この「ある」の圧倒的な事実性は、わたしの思…

世界は存在する

論点: 世界はわたしが生まれていなかった時にも存在したし、わたしが死んだ後にも続いてゆくであろう。 たとえば、筆者が哲学者として考えていることも、二十一世紀を生きている哲学者であるということから規定を受けているに違いない。人間として生きると…

存在の真理へ

論点: わたしにとって、わたし自身は唯一的な認識の主体に他ならないけれども、それでも別の側面から言えば、世界の中のいち存在者にすぎない。 現代の人間にとっては、「世界はわたしの表象である」というテーゼは極めて馴染み深いものとなっており、それ…

「すみやかな流れに向かって言え、お前は……。」

論点: わたしはこの世界に生きる一人の人間として、いつかわたし自身の死を死ななければならない。 わたしは日々、当たり前のように何かを見、聞き、語っている。しかしいつの日か、もはやわたしがこの身体によって見、聞き、語ることがなくなる日がやって…

わたしの存在をめぐる考察

論点: わたしの存在は主観性よりも、まずもって、生によって定義されるものなのではないだろうか。 わたしなる存在に関する限り、生きることと存在することは完全に一致する。この生は、意識としてのわたしと、他の誰でもない「この人間」としてのわたしの…

生と存在の一致

論点: この世界の中で生きる一人の人間として、わたしは存在する。 わたしは思考する意識であるのと同時に、他の誰でもない一人の「この人間」でもある。このブログにおいても、かつてこのモメントを「二つ折れの与え」として考えたことがあるけれども(『…

存在論的差異の概念について

論点: 存在者は存在する。そして、あれこれの存在者からなる、この世界が存在する。 存在の問いを問うことから見えてくるのは、普段は当たり前すぎる事実として通り過ぎてしまっている上の事実が、実は何か根底からの驚きをもって問われるべきものであるの…

唯物論と存在理解

論点: 存在の問いへの答えは、それがいかなるものであるにしても、われわれに驚きをもたらすものでしかありえないであろう。 たとえば、この問いに対する自然主義的あるいは唯物論的な答えとは、「一切の存在者はいわば理由もなく存在しているのであって、…

人間が存在の問いを問うことの意味

論点: 存在の問いを問うのは、この世界の中でも人間のみである。 「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか?」このように問う私たちは、今この瞬間に存在している。無ではなく、存在しているもののただ中で、なぜ無ではなく、…

人間は、唯一の考える葦である

存在の問い: なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか? まず最初に注目しておきたいのは、このような問いを問うのは、世界の中でも人間だけであるという一事実である。しかし、このことの意味を掘り下げる前に、二点ほど指摘し…

存在の問い

論点: 本質の問いよりも深い問いは、存在するのか? これまで本質の問い、すなわち「〜とは何か?」と問うことの意味について考えてきた。 この問いも、主題によっては相当に根源的なところまで行くものであって、たとえば「美とは何か」「正義とは何か」な…

本質の真理に関する探求の総括

本質の真理をめぐる探求の結論: 本質の真理を問うこととは、まなざしている事柄の「何であるか」をたえずより根源的にまなざしつつ、見てとられたものを、それにふさわしい言葉にもたらすことに他ならない。 命題の真理の次元にとどまっている限りは、たと…

より根源的に、ものをまなざすことに向かって

論点: 本質の真理を問うことは名づけることを越えて、さらに先へと進んでゆく。 たとえば、「美とは何か」という問いを探求したのちにわれわれが出した答えは、次のようなものであった。 美の本質についての定式化: 美とは、存在すべきものである限りでの…

言葉とまなざし、イデアと想起

本質の真理を問うことは、ある意味で、ものや出来事をふたたび名づけることであると言えるのではないか。 たとえば、美とは何か。私たちは様々なものや事柄を美しいと呼んでいるけれども、その「美しい」という言葉は何を意味しているのだろうか。この問いは…

流動する意味

「ヤバい」という語の二つの意味(再提示): ①非常に危険である。 ②死ぬほど素晴らしい。 ①の意味から②の意味が生まれてきた次第を考えてみると、そこには、「①の内包的意味が、使用されつつドリフトしてゆく中で②を生み出してゆくプロセス」があったであろ…