イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

人文知を守ってゆくべき、いちばん大切な理由

  今回の件について、最後の話をしたいと思います。今週の火曜日の午後、人文知の世界の未来について大学の友人たちと、食堂のテラスで話をしました。その場にいた三人とも、人文系の学問がなんの役に立つのかということについてあれこれ頭を悩ませながら考えて、どうしたら学問がこの世に必要だということをもっと多くの人に納得してもらえるのだろうと、意見を出しあっていました。
 
 
  そのとき、大学院でロシア文学を研究している女の子が、こんなことを言いました。「哲学や文学は、心の底から悩んでいる人のことを救ってくれる。少なくとも、生きることに苦しんでいる人たちのなかには、そういうものによってしか救われない人もいます。だからわたしは、哲学や文学は、立派に世のなかの役に立っているはずだと思うんです。それじゃいけないんですか?」
 
 
  もう一人だけ、例を挙げさせてください。最近知り合いになった高校生の男の子は、校内におけるコミュニケーションのあり方に悩まされるという経験を持っていました。今の中学校や高校では、クラスの中などで自分の「キャラ」が本人の意志とは関係なく決められてしまい、その「キャラ」通りにふるまわなければ生き残っていけないという状況に置かれてしまう場合があります。彼は中学のときに、たえず周りからいじられることになってしまい、「本当はいじられキャラなんかじゃないのに、いじられつづけた」そうです。彼は、だから自分は、大学で社会学を勉強したいのだと言っていました。大学でキャラ的なコミュニケーションのあり方について研究して、将来の学校で、もう絶対にそんなことが起こらないようにしたいのだそうです。
 
 
  人文知は、悩んだり、苦しんだりして生きている人たちの役に立つ。生きることそのものが、身を切るような痛みをともなうものであること、たとえそうだとしても、もう声をあげて叫び出したくなるほどにすばらしいものであるということ。人文知はそのことを私たちにどこまでも深く教えてくれるものであるというのは、間違いのないことだと思います。
 
 
人文知
 
 
  残念なことに、この世界に生きる私たちは、弱い人たちのことをつい見逃してしまいがちです。「哲学や文学こそが弱い人を救うのだ」と主張したとしても、経済の世界にたいしては、そんな言葉はまったく通用しません。ある人は、大学における人文系の学問のことを「役に立たない学術教養ごっこ」と呼んだそうです。正直にいって、そう言われることにたいしては悔しさを感じずにはいられません。でも、だからといって、その人のことをただ責めるわけにもいかない。それは、この国の未来がどうなるかわからないという漠然とした不安のなかで、経済の世界を担う人たちは、今のままの平和なこの国の状態を守ろうとして、毎日必死に働いてくださっているという事情もあるからです。社会にたいして、人文知がどのようにして役に立つのかということの説明を熱心に行ってはこなかった大学の側にも、責任がないとはいえないのかもしれません。
 
 
  いずれにせよ、状況は厳しい。インディペンデント知識人たちとでも呼びうる人たちがこれからもっとたくさん世のなかに出てきて、大学の外においても人文知を武器として活動してゆくことになると僕が考えているのは、今の時代の状況のなかで人文系の学問をのちの世代まで生き残らせてゆくためには、それを擁護する側のほうでも覚悟を決めなければならないと思うからでもあります。この世の中では、ただ弱い人たちのことを無視するなと言っているだけの人の言葉は、絶対に聞いてもらえない。このこともまた、とても悔しいけれど、もう今さら言っても仕方のないことだ。それならば、ちゃんと話を聞いてもらえるだけの実力をつけてやる。いつか、数えきれないほど多くの人に自分の言葉を聞いてもらえるようになって、きちんと自分の力でお金も稼いで、誰からも文句を言われないくらいの人間になろう。そのうえで、人文系の学問が役に立たないだなんてとんでもない、むしろ、本物の人文知こそがこの世の中をよくするのだ、このわたしが言っているんだから間違いないと言い切れるくらいになってやろうじゃないか。このように考える若者が、たくさんの苦しみをなめたうえでついに世の中で認められるとすれば、その時にはもう、世の中のほうがこの若者に屈せざるをえないでしょう。時代が危機を迎えるようになると、とんでもなく大きな野望をもった人間も出てくる。人文知の世界でも、そういう若者たちが、きっとこれからたくさん出てくるはずです。
 
 
  五日間のあいだ、連日の長文にもかかわらず多くの方に読んでいただき、感謝にたえません。それだけたくさんの方がこの問題に深い関心を持っているのだということもわかり、とても勇気づけられました。寄せていただいた疑問やご意見について、後ほどいくつか補足させていただきたいと思います。あらためて、ありがとうございました。どうか、よい休日をお過ごしください!
 
 
 
 
[この記事は、「人文系の学問の未来を考える」「21世紀、人文知の世界はこうなる」からの続きです。もしよろしければ、そちらの方もご参照ください。本文中で触れた「インディペンデント知識人」という語については、「21世紀、人文知の世界はこうなる」のなかで論じています。]
 
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